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2019/7/14 COMIC CITY 143にFE鷹鴉で申し込みました。
「孵化する日3」が出ます。全年齢です。
本当に「鷹鴉」なのか?という疑いが拭い去れない構成ですが、引き続き蒼炎/セリノスの悲劇以前を捏造しています。

今回、若い頃のルカンを描くにあたって、何しろ蒼炎の20年前だから青年なんだよなと思って設定資料集を見てたんですが、前髪一房降りてるオールバックなんですね……。つい髪型そのまま顔だけ若い感じで描いてしまいました。
というあれこれや進捗を、qoty で公開したりしなかったりしています。
脱稿したらサンプルをあげにきます。

そのあとのイベントとしては、一応10月のSPARK14に申し込みました。ジャンルは未定です。決まったら告知します。

***

キングダム見ました。
キンプリだかプリレだかを映画館に観に行ったときにCMが流れていて、ああ吉沢亮は動いていても顔がいいんだなあ…という感想と、もともと中華な歴史や背景美術が好きなのもあって(蒼穹の昴や十二国記、シュトヘルもこのくくりに入れている)、機会があったら見たいな〜と思っていました。
原作の漫画やアニメは一切見ていないので、それらと比較することはできませんが、一本の映画・物語として捉えた場合ではかなりいい出来だったんじゃないかなと思います。

中華の何が好きって辺境異民族との共生あるいは戦争です。異なる存在をどう捉えるのか、どう扱うのか、なぜそうなのか、そういう概念に心惹かれるからです。衣食住どれをとっても同じことがない、だけど心や体は同じように持っている。文化に優劣はなく、洗練も野蛮もあり得ないのに、あると思ってしまうこと。実は「ない」のだと気づくこと。いろいろな壁を乗り越えた先に、ひとりの人間同士として向き合うことができたとき、そこにあるものは何なのか。
それが何であれ、生じるのはロマンだと思うんですよね…だから人外ホモが好き…。

なので、キングダムにも辺境異民族がいてくれて、とても嬉しい。
作中の異民族は「山の民」と呼ばれていて、名の通り山の中で暮らしています。常に仮面を被っており、個々人の戦闘力は非常に高い設定な模様。また、剣以外でも吹き矢や鎌を扱って戦うことができ、彼らの狩猟採集での生活を想起させてくれます。
吉沢亮演じる嬴政が山の民に助力を乞いに山へふみ入る中、政の部下たちは「どうせ未開の野蛮人なんだから、いざという時には軍の統率された武力で…」と考えるのですが、断崖に構えられた王の居城を前にその考えが浅はかだったと知ります。正直この描写だけでキングダム最高だな、と思ってしまうくらいには、そういう描写が大好きです。

もちろん他にも最高ポイントはあって、例えば山の民の王を演じた長澤まさみ。仮面とボイスチェンジャーで登場したので、最初は予想もしておらず、ところが仮面を外したら長澤まさみの顔面……強キャラ感が天元突破しちゃって本当にびっくりした。その顔が、戦闘シーンでは太ももむき出しファンタジーアーマーで双刀ぶん回して敵の首を刎ねていく……。一番かっこよかったです。ぜひ見て欲しい。

嬴政の敵として出てくるのが、異母弟・成蟜。これを演じる本郷奏多の顔面がもう〜〜〜〜最高。最高の中でも最高……。本郷奏多のことは全く詳しくないのですが、成蟜の顔をしている本郷奏多は最高でした!!!!!
底意地が悪そうな顔面ってこういうのだよな…とうっとりしてしまった。
声もすごく性格悪そうで、それと小物感漂う上擦り方が同居していて、最高。
デコも出てたしな。大好きだよ。しょうがないよもう。
原作読んでないけど奥さんもいるんでしょう?最高じゃん……。成蟜受け、読みたいな……。

悪役が悪役として最後まで立っていて、そして正しく成敗される。王道の物語でしたね。
総括すると、吉沢亮に顔面ボコボコにされてる本郷奏多が見られるキングダム、大変良い映画でした。
背景美術もすごく良かったし、背景美術の資料集とか、出してくれないかな〜〜。衣装も近くで見たいな〜〜〜〜。

めちゃくちゃよかった……

・4話 十王院回
・5話 高田馬場回
・6話 鷹梁回

4話 十王院回
マダガスカル(出オチ)で笑ってたが笑ってる場合じゃなかった。
気がついたら国際レベルの貧富というか、異文化の観光消費の是非というか、強者の理論とか、それでも資源があるうちは夢があるのかなとか、なんか…つらくて……十王院財閥内部の確執以前にこういう概念でまず殺されることになるとは思ってなかったです。
財閥内部の揉め事については、ジジイの掌の上だったのかという一種の安心もありつつ、まだまだ波乱がありそうなので一男には気を引き締めて取り組んでいってもらいたい。ちょっと古風な気質なイメージがあるので、ゴルフとかもやらなきゃいけないんだろうな、大変だな…。でもマダガスカルまで行っちゃえばゴルフもへったくれもないわな。ペーパーカンパニーなのかと思いきやちゃっかり天然ガス採掘の実績まであげちゃって、よかったね一男、児玉の息子が培ってくれたこれも一種の愛なんだね。
ネブカドネザルについてはちょっとキンプリから離れた感情になってしまうので割愛します。ああいうのダメなんだよ、好きなんだわ、あれさえも私が異文化に押し付ける幻想になってしまうけど、その幻想を捨てられずにいる自分自身の話になってしまう。
一男にとっての愛って何になるんだろうな。一男に愛を教えてくれた人物は、財閥内部の闘争で足元すくわれて貶められて、それでもマダガスカルでの一男を支えてくれた。
その愛を受けて一男はフラミンゴになって、オレンジのフラミンゴはマダガスカルを救うんだよ! ゲロ泣きしたわ。泣かずにいられるか? 愛の連鎖だ、これは。愛をつなげていくこと、一男にも頑張ってほしい(一男はもう十分頑張っている)。
一男のプリズムショー、衣装含めて絵面はめちゃくちゃ面白いのに、目から涙がボロボロ出て止まらんわ。徹頭徹尾、最高の流れだった。
一男、スタイルも顔もめちゃくちゃ良くて、連続ジャンプは飛べなくてもそのナリだけで百万点だな〜と思った。最初キンプリを見たときはチャラメガネの一種だね〜という印象だったのに、作品を重ねるごとに人間としての器の深さが見えてきて、ユキノジョウ回での言動ももちろん、今回の十王院回でより深く彼の内面を好きになることができたと思っています。ただ懸念は、彼のあの態度は器の深さであると同時に諦めの良さなんじゃないかなという部分でもある。スタァになったところで、キングを目指しうるのか? そこまでいけないのか? 高校生の彼には、あまり時間は残されていないのかもしれない……またいずれ「進路」というキラーワードで私たちを刺してきてくれるのかもしれない。

高田馬場回
岡山………。香賀美回でも思ったが、以前から雑誌のインタビュー記事で明かされてきた出身地のくだりがこうやって消化されるとは全く思っていなくて、とにかく胸が苦しい。アイドル…じゃなかった、プリズムスタァも一人の人間で、親がいて、学生ならではの家庭の悩みがあって…という面を見せてきてくれる、苦難のシリーズですよ今回は。
背後の風景が山!川!な岡山でも法月仁の完璧なプリズムショーは見ることができて、そしてそれに憧れる子供もいるんだ!という描写。
高田馬場回は泥臭いシンデレラストーリーだったな。
高田馬場はプリズムショーの舞台上でも連続ジャンプを披露できる実力派であり、「その場」に現れることができる真のスタァであり、そこに至るまでの彼自身の努力があり、彼のことを理解してくれる人/家族もいるんだってこと、今まで匂わせるだけだったものがしっかり描かれていて、すごく理想の「高田馬場ジョージ」の表現に近かった。
そろそろソロ活動はいいけど、歌はどうするんだ…? 法月は「これまで通り」って言ってたから、相変わらずGS体制でいくのかな、そりゃそうか、でも高田馬場の歌も聞いてみたいな、下手でもいいから、公衆の面前でなくてもいいから、機会が欲しい。
めちゃくちゃよかった………。

鷹梁回
静岡〜〜〜そうくるか〜〜〜〜。
泣くとかそういう方向じゃなく、ただ辛かったな。鷹梁のアイデンティティはどこになるんだろう? 正直、あまり消化できてない部分が多い。プリズムショー以外の部分への悩みが印象強すぎて、家庭の問題への意識が勝ってしまうんだよな…。でも、それこそが鷹梁だったのかも、とか。
プリズムショーはなんなら一番攻撃的だったけどな…カツオの腹に銛を打つな! そのパワー、好きになっちゃうだろ、もともと好きだが!
でも欲を言わせてもらうと、みんなを包み込む優しさとか料理とかじゃない部分以外をプリズムショーで見せて欲しかったな、例えば闘志とか…。
獲物を仕留める漁師の眼差し、欲しかったよ。
勝ちたいという気持ち、見たかったよ。
それがないこと自体が鷹梁の魅力だったとしても、プリズムキングカップにせよプリズム1にせよ、点数で競わざるを得ない世界において、点数を気にしてない!って胸を張れるのは不動の頂点にいるもののみだと思うので…。
でも鷹梁、本当は泣き虫なんだろうなって思えたのはよかった。キンプラで速水にカレー食べてもらってワンワン泣いてたのはびっくりしたけど、今回、あの場面とかこの場面とか見て、弟妹を面倒見る鷹梁とそうではない鷹梁がいること、弟妹を世話する鷹梁には我慢の概念がつきまとうことがわかってしまって、そうではない…父母や神浜とのシーンで涙が描かれたの、解放されたのかな? それが素なのかな? と思えて、しんみりしてしまった。
神浜がお子様ランチを用意したのも、もちろんオバレの仲間のことが念頭にあってのことだろうけど、鷹梁が封じ込めたまま育て上げられなかった童心へのアプローチだったんじゃないかなと思えて、神浜の洞察力のなせる技だったのか? タイミングも何もかも、神がかったアクションだったのではないでしょうか。自分の気持ちに正直になれるのは子供の特権だったのかもしれない。

う〜ん、あまりまとまってる気がしないんですけど、鷹梁回を考えれば考えるだけスタァとしての鷹梁の可能性に辛くなってしまうので、逃げるためにビール飲んでたらどんどんわけわからなくなってしまった。辛〜い。とりあえず、今回はそういう感じで、よろしくお願いします。以上です。

このブログ、見終わって3時間くらいのインターバルでこのザマなので、記憶なんて不確かなものだよな。はあ。オレンジのフラミンゴの曲、早く欲しいな…。

観客 is DEAD!

なるほどね、と。
LDHくんが「胸キュン」に取り組むとどうなるのか、こういうことだったんですね。
壁ドン、お姫様抱っこ、あとなんだっけ(記憶がない)…ええと、なんかそういうものを「胸キュン」のための道具に貶め、作り上げた虚構の上で女性陣のときめきを踊らせる。「お前たちこういうのが好きなんだろ」を作中でやってしまう。胸キュン is DEAD というのはそういうことなのか? もう「素」の胸キュンは存在しないということなのか? そして「王子」も、その虚構の胸キュンを本物のように存在させることができる者の称号だから、「素」の王子はもういない、そういう意味での “PRINCE is DEAD ” なのだろうか? どうなんだよ白濱亜嵐。オイ。

初代の現王丸(TAKAHIRO)、二代目の竜崎(岩田剛典)に続く三代目王子の称号は朱雀奏(片寄涼太)の手に渡ったわけで、これをLDHの各世代の稼ぎ頭と見る解釈が多いようですが、じゃあ白濱亜嵐は何だったんだよ!?
あのエンディングを見るに、三代目エースはやっぱり片寄だったんだね! と手放しに喜んでいい状況じゃないのでは?
やっぱり続きがあるんだなぁ〜映画一本で終わるわけがなかった。続編も楽しみにしています。
(※よくわかってないまま書いています)

見てる側の感情としてはキンプリと近似だと思います。
王子の概念も胸キュンの概念も、製作者・演者側と我々視聴者の間での共有は全く図られていないので、「なんかそういうものがあるらしい」というフワッとしたイメージだけを持って臨むことになるわけですが、ほぼ丸腰じゃね〜か! また置いてきぼりだよ。
胸キュン競技もわからないし、それを練習するのもわからないよ。
壁ドンの練習を男同士で繰り広げてるのもワカラナイ…。
兄が弟をお姫様抱っこして嬉しそうに走り出すのも、ワカラナイ………。
胸キュンは性別によって隔てられないという主張でもあるのでしょうか? とある男から男へ、胸に秘めた想いがあることは公式で明言されているので、そういう方向性も持ちつつ、それでも胸キュンは死んでしまうんだな…。難しいな。
あと、壁ドン自体は架空の胸キュン動作としてすでに広く人口に膾炙しているのでいいとしても、椅子取りゲームで胸キュンってなんだよ。個人的にケツのデカイ男が大好きだから、チーム生徒会の練習風景でのガブリエル笹塚(関口メンディー)にめちゃくちゃグッと来ちまったよ。そういう感情であってるのか? 出遅れて笹塚の膝の上に乗っかっちゃった生徒会長(佐野玲於)の虚無顔も好きだよ。

とか言いながら、エンドロールはほぼほぼ胸キュンに関係がない、チームの中でのほのぼの後日談みたいな感じでど肝を抜かれた。
先述の男←男の感情にもう一人乗っかってきて男←男←男の図になるし(どういうこと?????)、生徒会長はめちゃめちゃ筋トレ肉体美アピールしてくるし(コレは胸キュンだったのかもしれない)、兄弟は「やっぱり兄貴には叶わねーや!」で丸く収まってるし…。

兄弟めちゃくちゃ可愛かったよぉ〜。
兄はオラオラの超!ワンコ系でヒロインにど真ん中直球で向かっていくし、弟はそんな兄貴をサポートするって言いながらヒロインのこと好きになっちゃう。ライバル関係になるのか?と思いきや、そういう展開にはならず、弟はモヤモヤしたまま大会に参加することに。大会終了後(エンドロール)、兄に「お前も好きだったんだろ?」と指摘されて「兄貴はスゴイ!」に拍車がかかる……。
兄! なんで弟のこと抱き上げてクルクルしてんだよ!
兄は貧乏一家のおバカの肉体派の大食いキャラで、それはほぼ役者本人では?と思わざるを得ない(貧乏一家かどうかは知らない)。私はハイローとプリレの鈴木伸之しか知らないが、LDH映画の鈴木伸之は全部鈴木伸之役なのでは?と思っている(ハイローの鈴木伸之はおバカの肉体派の大食いなバイク整備屋の兄ちゃん)。
鈴木伸之はよぉ〜、飯食いながらインタビューする的な番組で焼肉屋に行って、AKIRAや岩田剛典が喋ってる間も普通に肉とかコメ喰ってんだよな。LDH系イベントのフードメニュー紹介のコーナーとかで、一人で全メニュー食べ切れるか!?みたいなことする役回りなんだよな。
そんなおバカな役どころながらも、ヒロインのことをちゃんと好きだからちゃんと見てて、ヒロインのクセを見抜いて「自分じゃダメなんだ」って気づいちゃうとこ、愛おしくてしょうがねえ…。
鈴木伸之! 俺を選べ! 俺が幸せにしてやる! 腹一杯飯を食わせてやるから!! ※鈴木伸之ではない
気づいちゃってるのに諦められなくて、「俺じゃダメなんだろ?」ってヒロイン本人に確認しに行っちゃう愚直さもたまらねぇ〜〜〜〜!!!!!
そこで一粒涙をこぼすじゃないですか。彼は。
感動的なシーン、私の感情もめちゃくちゃですよ。
でもねえ、鈴木伸之の涙は、恐ろしいんですよ。
LDHは有料チャンネルで色々な番組を公開していて、LDHの人間たちが色々なコーナーで色々なことをやってるらしいんですよね。
その中には「LDH俳優たちの中で誰が一番早く泣くことができるのか?」という演技対決があり、青柳翔と鈴木の対決では、青柳が頑張ってる横で、鈴木伸之、3秒で落涙
えっ…はや……。
こわ……。
彼が一体何に涙したのか? 我々には永久に知ることはできない。ただ恐ろしいことだけがわかった、それだけである…。

プリレの感想というか、鈴木伸之の話になってしまった…。
公開初日の昨日、舞台挨拶付きのものを見たので鈴木伸之の挨拶も見ていたのですが、あいつは本当に…心臓が強いな……。
場慣れしているので堂々と話し始めるのに、何も考えてないのでオチはないしダダ滑りしてるのに平気な顔して「まっそんな感じで!」と適当にしめてしまう(しまっていない)。
ハイローの何かの登壇挨拶の時、横一列に並んでるのに身を乗り出してまで隣の岩田の顔をずっと見てたせいで、鈴木の頭一個だけ前に飛び出ていたのを思い出した。
舞台挨拶、塩野瑛久かわいかったな、お前がヒロインだよ。

好きですか? 王様。
わたしは大好きです。

主君をコロコロ変えるとは、臣として不忠不義もここに極まれりといったところですが、「七度主君を変えねば武士とはいえぬ」ともいいますし、ちょっと私の新しい王様の話を聞いてください(ただし雑魚ちゃんは臣下でなければ武士でもない)。

そういえば十二国記、2019年中には新作出るって本当の本当ですか? 国が十二あって王も十二いるという、十二国記。
十二国では雁の王・小松の三男坊が好きなんですよ、国を失う男が好きなので。
今まで手の届かないところに取り上げられてたものを、姿が失われる寸前で押し付けられて、取りこぼして、それでもまだ求めてしまう、欲望というかバイタリティに満ち満ちて、野望を標榜して止まない精神力が愛おしくて……。あるいは、そうでもしなければ希望がなさすぎる、絶望と紙一重の境遇が。
新しい国がうまくいって、新しい民を守り尽くしても、失われたものは戻ってこない。「そのもの」はもうない。詫びる言葉もなく、相手もいない。癒えることのない傷は常に心の奥底で口を開けている。その傷が治らず痛むことに安堵するのか? 癒えなければ忘れないから?
とは言え自罰的な概念は、特別好きではないんだよな。自分を罰している暇があったら馬車馬のように働いて、未来のために尽くしてほしいので。とんでもないエゴですよ、これは。私の。

何の話をしているのか? 王様ですよ。

「国を滅ぼした男」たる悪名、最高では? とは最近ずっと考えてることなんですがね。真相がどうあれ、最後の王ってそういうことになってしまう(と思う)から。
ずっと後になって、歴史上の出来事として、ああすればこうすればと語られる中で、例えば無能であったとか人望がなかっただとか、そういう風に肉付けがされることもあるのでしょう。本当のことは誰も知らない。
ただ、場合によっては、長命の鷺あるいは竜の老人の子供時代の思い出として、露悪的で献身的な鴉の記憶がおぼろげにあり続けられるかもしれない。もっともそれがかつて王であったなんて、その子供には知り得なかったことだけど。
存命中の出来事でも、「鴉の王」を名乗る鴉が現れて、旧王の所業をを糾弾するとかありうるだろうな〜…鷹やベオクとの確執よりも、鴉同士での軋轢の方が、指標が不在になったことで突沸して諸所に飛び火しそうな気がする。
暁後、一国になった後の諸々もこうやって断片的に考えることはありながらも、過去のことで手一杯になってるので全く…全く取りかかれず……考えることが多くないですか? ていうか動かす手が少なすぎるのでは? どうして頭は一個しかなく、手は二本しかなく、一日が二十四時間しかない中で八時間眠ってしまうのだろうか。

関係ないようであるようでないんですが、「孵化する日3」が6月か7月に出ると思います。引き続き誓約まわりの捏造です。よろしくお願いします。十二国記とどっちが早いかな〜(?)。

で、新しい王様の話ですよ。今までのは前振りです。

グランブルーファンタジーが新しいキャラクターを突然十人もぶち込んできてまして、十賢者っていうらしいんですが、この中にいるんですよね〜王様〜〜〜…。公式くん、十人もいたら誰か刺さるやろ!みたいなレンジがバカでかい攻撃するのやめてくれや。王様とは別にもう一人致命傷差しこんできた奴もいるんでね…。王様じゃないので今日はその話はしませんけど…。
天星剣王シエテ様を仲間にした時の話と似ていて、十賢者を仲間にするのもハチャメチャなドロップ素材を集めまくらなきゃいけないようなので全く進んでおらず、ほとんど作中の会話は読めてないのにもうわかる、絶対好きなんだよなぁ、あの王様………。
ちょっとだけ公式HPから引用させていただきますね。

とある貧民街で人々から「王様」と慕われる、元ガルゲニア皇国の第五皇子、「断罪の皇帝」カッツェリーラ。

わかった?
わかっただろ? もういいだろ?
雑魚ちゃんはひっくり返って仰向けになったまま泣いています。オギャア。
王様、貧民街に居を構え、そこに住まう人々を正しい道へと導くような振る舞いをしているらしい(例えば密造酒を製造・販売していた男に樽に用いる材木の良し悪しを判断する目が備わっていることを見抜き、まっとうな材木商人へと転身させるなど)。王様、貧民街のみんなは正体も名前も知らないけど、王様と呼んで慕っている。王様、本当は音楽が好きで、政治には興味がなかった。
第五皇子だから継承権は遠いもんな…。そうだよな。でも、それが、今は……?
……………。
王様…………。
えっ…この後どうなるの…? 素材…どれ……? どの素材をどこで集めることができるのか、全くわからない。頑張れ雑魚ちゃん。道のりは長いがその分たどり着いた時の感動は…でかいぞ…。多分……。
ほらまたこうやって、本当に好きなのかわからない男を思い込みで好きになって労力つぎ込んでるだろ、なんて効率の悪い生き方なんだ。でもこういう生き方しかできない。業が深い。許してくれ、王様、許してください。
王の概念は象徴だから、全部王様のせいにしてもいいんだろ? そうだろう、俺には何の取り柄もなくて、あんたは俺を導けない。でもそれは俺が悪いんじゃなくて、俺を使えないあなたがいけないんだ、そうだろう王様…!

突然モブ貧民になる芸、やめたいな。

シエテの方も天星剣王とか言っちゃってるから、危ういニオイがプンプンするんだよな。最終上限解放するための素材集めがまっっっっっっっっっっったく終わっていないので、彼に関する全てのエピソードは解放できておらず、おそらくもっともどデカイ爆弾がそのまま残っている最悪の状況です。こわ…でも早く見たい……。
お前は何の王なんだ……。怖いよ〜怖いよ〜〜〜〜〜。

グラブル、例のイベント000後編は大満足の結末でした。最高だったね。
あんな概念を突きつけられたら、全ての言葉が陳腐になってしまうよ。
自分の求めるものがわかっていて、最短距離を突き進むパワーのある生き方。見ていてなんと気持ちのいいものか。
やっぱり何につけても体力なんですよ…。突き落とされた地の底で襲い来る混沌を殴り続け、不死を打倒する力を手にするに至ったその体力。愛ゆえにと宣いながら確たる目的を持ち、2000年の不眠を貫ける体力。目覚めてすぐでも敵をボコしてやろうとする気力、自分がコピーだと知りオリジナルを前にした時に、お前を打倒し取り込めば俺が完全になれると襲い掛かれる体力。
Power is everything.
やっぱり、そういうことなんだな。

というわけで、いろいろな王様の話をしてきましたが、七人は流石に揃えられませんでした。一つの作品から三人も四人も持ってくるの野暮だしな。
でもシンドバッドの生き方が一番好きかなと思います。王でありながらも「自分」の理想を追い続けた男、結局姿を消した男。根深いエゴを取りさらわなかった男。王がエゴを叶えることを肯定したがった男。
はーこわ、怖い。怖いよぉ。

意思が強い男が好きだなあ(統括)。

見ましたか? KING OF PRISM -Shiny Seven Stars- (以下SSS)を。
全国の劇場で公開中です。

ところで3/2(土)公開なのに田舎の方では4/13(土)まで公開されないの、どういう事情なのか? テレビ放送の方が先に始まってしまうのでは?
※今回のキンプリは、4/8(月)放映開始のテレビシリーズ全12話を劇場先行公開するという試みであり、劇場版は3話ずつひとまとまりで全4編を3週間毎に公開、3/2からは第一弾(テレビシリーズ1〜3話相当分)公開中、3/23からは第二弾(テレビシリーズ4〜6話相当分)が公開予定です。
テレビシリーズ化、本当におめでとう。

ということで、見てきたわけですが。

https://twitter.com/zacoinfo/status/1102918876151525376

しょっぱな第1話冒頭からスペースざこちゃんになってしまった。

第1話は導入編として、世界観や共通設定、これまでのキンプリ・キンプラのあらすじが説明され、同時にテレビシリーズの立ち位置が表明されています。それがあのキンプリ特有のものすごいスピードで進んでいくものだから、キンプリ・プラ視聴済みの身でもそこはかとない置いてきぼり感を味わうことになりました。
が、これがクセになる……。アイドルの卵たちに置いてきぼりにされるために見に行ってるようなもんだと思っているよ。親切にされたくない。みんなには周りを顧みずに自分の決意を信じてまっすぐ前に進んでいってほしいんだ。その結果として発生する情報量の暴力で殴られたいだけなんだよ。ついていけないやつはバンバン切り捨てていって欲しい、そうして残った連中で、俺たちの偶像を囲むんだ…(ぐるぐる目)。
そう考えるとあのオバレのあり方はすごく理想的なんだよな…。

とか言ってるけど、朝帰りのくだり、正直ついていくのにかなり必死だったよ、何しろアルコール摂取中だからね。ビール飲みながらオバレのライブ生放送見てる気分のところに、オバレとお酒飲んでたら終電逃して朝帰りコースの妄想ぶち込まれると思ってないじゃん? 素直に「えっ?」ってなってしまった。
プリズムジャンプで朝帰りを表現するな! 5歳児だって見にきてるんですよ(ビールのカップ振り回しながら)。

それで、物語としては、前回(キンプラ)速水ヒロがキングオブプリズムの座に選出されたプリズムキングカップには不正があった! と主張する法月仁によってプリズム1なる新しい大会が設定され、エデロのみんなとシュワロのみんながガチンコ対決する流れになります。
第1話でこの説明があり、そして続く第2話からはそれぞれのメンバーにスポットライトが当たり、各々自分が抱える問題に向き合い、決意を新たに大会に挑んでいきます。
今回、第2話では立花ユキノジョウが、第3話では香賀美タイガがピックアップ対象でした。

いや〜しんどかった、見ててあまりにも辛い。もちろん最後には救いというか、解決が用意されてめでたしめでたしとして落ち着くんだけど、そこに至るまで、たった1話25分の中にここまで感情を詰め込めるんだ!? という驚きとともに、彼らの抱える問題の、個人的なようでいて大いに普遍性をはらんでいる様にやっぱり泣いてしまう…。
キンプラでプリズムキングカップへの出場を辞退し、シンに出場させるように提案したユキノジョウが抱える問題。歌舞伎一家の跡取りで、歌舞伎役者とプリズムスタァの二足の草鞋を穿く彼は、どちらの舞台でも自分の演技を掴みきれずにいる。
どちらもやりたいことのはずなのに、どちらかに打ち込めば、そうではなかった方から逃げていることになってしまうのか? ましてや歌舞伎界では連綿と続く一族の血を受け継いだ唯一の身であり、父も母も、ユキノジョウには歌舞伎役者として立ってほしいと強く願っている。
答えを出せないままプリズムカップには出られない、と考えたユキノジョウは、キンプラではシンに出場権を譲ってしまった。
SSSでシンは「あれはどうして?」とユキノジョウに直接尋ねたものの、ユキノジョウは「シンのプリズムショーが見たかった」とはぐらかしてしまう。素直なシンはこれを聞いて喜び、結局ユキノジョウの本音は明かされない。
これを影で聞いていたのが、ユキノジョウと同学年、高校2年生組の十王院と鷹梁。この時のふたりの表情、もう最高
その後、高校生3人は風呂場で一緒になり、ユキノジョウが己の境遇、不安、焦りなどの感情を吐露する流れになります。
ただ、ここすごく真面目なシーンのはずなのに、風呂場で繰り広げられてるおかげで全員全裸なんだよなあ…ユキノジョウが握り締める拳なんて、お尻の真横でさ…劇場のどでかいスクリーン満面のユキノジョウの生尻、見られるのは今だけですよ。
劇場へ行きましょう。その際には是非ビールをどうぞ(何の話だ?)。
そんなこんなあって、ユキノジョウは無事に課題を乗り越え、プリズム1の舞台に立ちます。
そうして始まったプリズムショー。歌舞伎役者として、そしてプリズムスタァとして。どちらの名にも恥じぬプリズムショーを作り上げたユキノジョウの姿に、歌舞伎役者としてのユキノジョウを望むばかりだった父母も心を打たれます。
プリズムスタァとしてのユキノジョウは、プリズムジャンプが飛べなくなってしまったシンに指導を施したり、そもそもプリズムキングカップへの出場を推薦されていたのは彼ですから、相当の実力があったと推測されていました。そんなユキノジョウが、歌舞伎の所作を取り入れた独自の4連続ジャンプを成功させ、圧倒的な地力を披露してくれたのです。
プリズムショーで泣かすの、ほんと勘弁して。もう、歌とか全然記憶がない。
2回見ても、3回見ても、後の流れがわかっているのでこの後ああなるんだ…なんて考えるせいで逆に泣くシーンが増えてしまって、結局見るごとに記憶を失う時間が長くなってるからな?

キンプリ〜キンプラで描かれてきたことを思い出すシーンがたくさんあって、今までシンを中心に描かれてきた生活、時間、人間関係を私たちが知っているからこそ成り立つ濃厚な25分という感じだった。

で、だ。

十王院と鷹梁だよ。
どうすんだよあいつら、感情バカ重いっていい加減わかってきてるぞ!?

十王院、「俺たちの代表として、ユキノジョウのプリズムショーが見たかったんだ」って面と向かって言っちゃう。悔しいよって。長い時間暮らしてきたエーデルローズの進退を、年下の、この前入ってきたばかりのシンに背負わせて不甲斐ないよって。
だけど実力がものを言うこの世界で、自分の力では通用しない。ユキノジョウならって思ってた。だけどそのユキノジョウも万全ではなかった。
それでも、ユキノジョウの抱える問題を知った時には「一族の重圧って、受けたことのある人間じゃないと理解できないよね」だなんて、同調しちゃう。十王院財閥の嫡男が受ける重圧。専務取締役という立場とプリズムスタァという夢。とはいえスタァとしての実力は未だ描かれず、どちらかというとショーには消極的な印象さえ受ける。
十王院回、そこはかとない予感だけで今からもうすでに辛いぞ。

そして鷹梁、あいつも絶対やばいからな。
ユキノジョウがシンをケムに巻いてしまった時のあの顔。
悩みがあるのなら相談してほしい、力になりたい。そうやって言いながら。
プリズムキングカップにはシンを推薦すると言うユキノジョウに、「君がそうしたいのなら、僕もそれがいいと思う」と笑いかける。それを聞いた十王院は顔をしかめる。
お、お前の意思はどこだ〜〜〜〜〜〜!!!!!
お前はどこにいる? どこにいたいんだ?
プリズムショーに消極的なのは鷹梁もそうだと思う。高校2年生という年頃、将来を考えてしまうのかもしれない。スタァとして芽が出ない自分は、どうすればいいのだろう?
更に一族の重圧のくだり、鷹梁にも適応されてしまうのだろうか? SSS、家と自分みたいなテーマは確実に含まれている。
本当に怖い。

十王院回(4話)と鷹梁回(6話)を含む劇場版第2弾は3/23(土)から公開開始!
怖いよ〜〜〜〜〜〜〜!!!!
5話は高田馬場ジョージ回だから、これはこれで絶対つらい、ズンドコから這い上がる男が見れると期待している、這い上がった先でしがみつき、なお上を目指す男、大好きだからよ!

ハァハァ、本当にやばい、書きながら思い出し涙をこぼしてしまった。今公式HP見てたらおまけムービーが週替わりでやってるみたいだから、今週また見に行ってしまうかもしれない…。オタク、業が深いので何度でも死に、何度でも蘇るぞ。

以上、SSS感想でした。
香賀美回は、なんというか、美しかったです。
仁科への香賀美の思いとか、それにまつわるあれこれとか、香賀美が仁科やシンのプリズムショーと出会って何を学び、どう昇華したのかが見られて、本当に良かった。
それはそれとして仁科の人タラシムーブが度を越してて震え上がってしまった。香賀美、気をつけろよ……。仁科はオバレの手にしか負えないと私は思うね。あんわかにはかわいそうなことだが…。

春コミお疲れ様でした。当サークルスペースにお立ち寄りくださった皆様に感謝申し上げます。普段は全く一人で漫画を描いているのですが、イベントに出ると見てくださる方や手にとってくれる方がいらっしゃって、このCPの二人は架空だけど架空じゃないんだな…と感慨深い思いになります。
新刊2種の通販を開始しました。boothにてご確認ください。

今後の予定については、スパコミ(5月)どうしようかなと延々悩んでいましたが、悩んでいる間に定員オーバーしたっぽくて強制的に参加見送りになりました。しょうがないね。
次はこういう内容の本を出したいな〜という考えがそれぞれのCPであって、ただ私の腕は1セットしかないので、どの順番で出すかというのが悩みどころです。
これまで1年に3-4冊くらい出しているので、今年はあと6月くらいに1回と、10月くらいに1回と出られたらバランスはいいのかもしれない。
ただ、スパーク(10月)がもともとオールジャンルを1日でまとめて開いてくれてて、漫画ジャンルとゲームジャンルまたいで活動している身には非常にありがたかったんですけど、今年は会場の問題から2日間開催になり、漫画ジャンルの日とゲームジャンルの日に分かれてしまうようで、どのジャンルで出るのかでかなり状況が変わってしまうな…と思ってこちらもいまいち決めかねています。2日とも出るのはどう考えても体力的にしんどいもんな。
こんなことならイベントに出ないで通販だけやるのも悪くないなとは思っています。本は出したいので…。

とはいえ半年先のことなんてわかるわけないじゃん? 今まさにグラブルでボコボコにされてるけど、1年ちょっと前にはグラブルのグの字も知らなかったわけだし…(昨日システムで確認したらプレイ開始から365日目だった。怖い)
【000】はベリアルが出てくるシーズンイベントの3作目にして完結編のタイトルです。
今、前編と後編の間のインターバル期間中で、これは前編でズタズタにされた精神を少しでも回復しておけという公式の心遣いなのでしょうか? むしろ感情の見つめ直しが進んで、より傷が深くなってるぞ。
グラブルやってよ!!! 私と一緒に死んでくれ!!!!! と懇願して回ったのも虚しく、知人は誰もグラブルを始めてくれない。興味がないものがしょうがないし、逆に考えるとネタバレ注意する必要がないということだと思いますので、以下あらすじと感想です。

【あらすじ】
よくわからん。
いや、だって難しいんだよ概念がよ…。
『どうして空は蒼いのか』→天司サンダルフォンが【厄災】を引き起こす。
『失楽園』(ど空蒼2)→【厄災】後、サンダルフォンが繭で眠らされている中、天司長ルシフェルが殺される。色々あってサンダルフォンは天司長の役割を引き継ぐ。
『000』(ど空蒼3)→???
天司:グラブル世界の元素(火、風、土、水など)を司る概念。星の民によって作られた存在。
星の民:かつて空の民(主人公たちが含まれる種族)を襲い、覇空戦争を引き起こした異種民族。今ではほぼ姿を見せない。星の民ルシファーはルシフェルや他の天司を作り出し、それぞれ元素を管理させた。
ベリアルもルシファーに作り出された天司のひとり。【狡知】を司るとされる。
先述の四元素を司る四大天司やルシフェル、ベリアルはヒトと並ぶ知能を備えたが、彼ら以降に生まれた天司らは、作られる際に持ちうる知能に制限を受けている。また、より下位の存在として星晶獣が作られているが、これは意思が薄かったり、欲求に抗えなかったりするなど、より制限が強い様子。星晶獣は星の民が対空の民の兵器として作ったものとされているため、破壊行動に引きずられる側面が大きい。
ちなみにサンダルフォンはルシフェルが作ったので少し枠が違う。

そもそもの始まりは星の民の研究者ルシファーが天司を作ったことまで遡るのですが、「なぜ作ったのか」についてが『000』で語られているわけで…。
端的にいうと「世界を滅ぼすため」になるという、こう、スケールがでかい男ですよファーさんは。
ファーさんが世界を滅ぼすためにしていたこと、あれこれ手伝って、世界を滅ぼすことが何を意味するのかも全部わかっていたっていうのがベリアルだったということが、000前編で判明してしまいました。ベリアルはずっとファーさんの望みのために動き続けてきたわけですね、『失楽園』で初登場して我々プレイヤーのど肝を抜きまくったあの言動、全部ファーさんのためだったんですよ。
ていうかベリアルはファーさんが作ったわけだから、あの性格というか生き方全部ファーさんが設定した? の? アイヤー…
こわ…
そしてファーさんは2000年前に一度死んでいるんですよね。ルシフェルらの反乱によって。そのあとも天司たちは生き続け、空の世界を存続させてたわけですよ。そんな中で、ベリアル。ファーさんが死んだあと2000年経って出てきて、ルシフェルの体を強奪しファーさんの首とつなぎ合わせ、ファーさんの望む終末を一緒に見ようと頑張ってるお前。
ベリアルはファーさんの昔の協力者バブさんと再会し、SEKAI NO OWARIに向けた取り組みを始めたわけですが(ルシフェルを殺したのはバブさん)、ファーさんと一緒に世界が終わる様を見届けるんだ、というのが今わかっているベリアルの望みなわけで。
いや、あの、ちょっと、健気がすぎませんか? 一途ってこういうこと? 2000年間待ち続けた男なわけ?
攻めじゃん……
念願叶ってファーさんは目を覚まし、終末に向けた最後の手を取ろうとします。主人公やサンダルフォンはこれを止めるべくファーさんを追おうとしますが、そうは問屋が卸さない、ベリアルは「2000年待ってた俺を置いてお前たちがファーさんを追うのか?」と立ちふさがるわけです。
感情、重……
そんな…そんな数字出されたら誰も勝てないじゃん……
『000』になって突然2000という数字が飛び出てきて、凶悪な使われ方をしているので完全に震え上がっている。
ルシフェルの反乱の後、ファーさんと一緒にベリアルも姿を消していたんですけど、天司はみんなベリアルも死んだものだと思ってたみたいなんですよね。天司は有事の際には人の姿をとりますが、通常時では姿なく世界の空気として蔓延しているものらしく、世界のどこかに同類がいればそうと感じることができるようです。でも誰もベリアルのことを感知できなかった。気配を消すことは可能でも、2000年もの間続けることは並大抵のことではなく、「人間でいえば不眠のようなもの」と言われています。
2000年の不眠、2000年の我慢、2000年の、……。

2000年の重みですでにあっぷあっぷなんですけど、こんなのはまだまだしんどさの一要素にしか過ぎなくて、天司/星晶獣の幸せとは?とか、生きる意味の問いかけとか、受け入れてしまうことの罪深さとか、様々な概念でボコボコにされています。
ベリアルの人間性(人間じゃないけど)も、行きずりの女をさっくり殺してしまうとか、自分が仲間に引き込み、慕ってくれていた後期天司へのあの仕打ちとか、そういうもので大興奮&&大打撃。わ、わかってたのに〜こういう奴だってわかってたのに〜わかってたから好きになって、本当にその通りで予想できてたのに防御できずに結局ボコボコ。
前編だけでこんなことになってるのに、後編が始まってしまったら私たち一体どうなるの?

薄目で読んでたのに眼球飛び出た名台詞
「頼むよ、俺の救世主」
これを超える台詞がまた出てきてしまうのか?
オタクは何回死ねばいいのか。

グランブルーファンタジー『どうして空は蒼いのかPart.Ⅲ』【000】後編は3/7(木)17:00スタートです。

当サイトトップページのオフライン情報を更新しました。
春コミ情報のアップデートと、なぜか抜け漏れていたスクネサ既刊の追加です。

新刊2種になりました。

前回記事でご紹介した鷹鴉新刊と、我慢できずにしたためてしまった嘘喰い/梶フロ小説(未完)です。小説はこのサイトで色々書いているわりには紙媒体に落としたことがなかったので、やってみることにしました。
「悪い男(準備号)」A5サイズ28ページ300円になります。
ご興味があれば、どうぞ。

とは言え、前回の嘘喰い本が伽羅貘だったところを、梶フロとは突然どうした?感が否めないと思います。ただし突然どうにかなるのは大変得意なのでご容赦ください。
梶フロは、嘘喰いに登場する梶隆臣とフロイド・リーのCPです。2人は色々あって34巻でタイマン張ることになってます。まずはそういう接点です。タイマンといっても、前に書いている通り、嘘喰いはギャンブル漫画なので、勝負の内容はギャンブルです。まあ日本刀振りかざしたり拳銃奪いあったりする命張ったゲームなんですけど…。
梶くんは斑目の仲間で、斑目のチームメンバーとしてゲームに参加してます。一方フロイドは斑目の敵対者ラロのチームで出てきます。対立は必然です。
それでこのフロイド・リーという男、どうしても独特で、つい深掘りしたくなっちゃうんですよね……。

まず嘘喰いは、斑目(と梶くん)が主人公なんですが、彼らはギャンブルを取り仕切る組織・倶楽部賭郎と深く関わり合ってます。賭郎には「会員」(ギャンブルをする人)と「立会人」(ギャンブルを仕切る人)と、そのほか大勢(立会人を補佐する人たち等)が属しており、なんなら作中の主要登場人物は大半が賭郎所属なんじゃないか?ってくらい、賭郎関係者が出てきます。斑目と梶くんは会員の立場に当たります。ちなみに伽羅さんは(元)立会人です。
一方、ラロは賭郎の持つ巨大利権に目をつけた外部の人間です。乗っ取りを目論み、賭郎へのコンタクトを続けています。会員権を得たり、賭郎のボスに挑む権利を得ようと画策します(ボスに勝つと、次のボスになることができる)。
しかし、ラロが協力者としたフロイドは、賭郎にまつわる情報を欲しはするものの、賭郎内部に食い込むことを目的とはしていないんですよ。彼は情報屋なので、賭郎が色々な秘密を持っていそうだと目をつけてはいたものの、特別ギャンブルに興味があったりするわけではなさそうなんですよね。
世界には色々な情報源がある中で、賭郎もその中の一つ。興味こそあれ執心して追うほどではない、という距離感が、作中ではなかなか稀なのではないかな?と思います。ラロの手引きで賭郎との窓口が開き、立会人相手に喜びを隠さない様子は大変かわいいです。
ちなみに情報だなんてふわっとした言い方しましたけど、国家機密とか何とかそういう陰謀めいたネタを集め、人の業を暴くことを悦びとする人間です。そして暴いたら用無しなので売っぱらってしまいます。どちらかというと陰謀屋さんですね。
そしてラロの協力者というわりには、ラロが束ねる組織(アイデアル)に所属しているわけではなく、あくまで外注さんの立場なわけです。また、作中での登場機会も、先述のタイマンと、物語終盤に賭郎から陰謀の暴露を依頼される(そして達成する)というスポット具合。
ウゥン、暴きたい……。
この情報の少なさこそが魅力だと思います。少ないけれど、たとえばどんな生き方をしているのかとか、価値判断の基準は何かとか、そういった人間性の芯になる部分は明らかになっているので、隙間を埋めていけばフロイド・リーという人間を解き明かせるのではないか?と思ってしまって、ついズルズルと彼について考えて続けているという状態です。
いや、実際情報はめちゃくちゃ少ないですよ。名前はおそらく偽名だし、生まれ育ちはおろか、ラロ以外との人間関係は出てこないし。ただそんなことは問題じゃないんですよね。彼がどう生きるのか、それが知りたいだけなので。過去も未来も余人も影響し得ない、彼の真ん中を見たいんですよ。それが錯覚であれ、見えそうだと思えてしまう、その隙のようなものに飛びついてしまうオタクの業です。暗闇の中でうっすら開いている押し入れは怖いけれどのぞいてしまうので。

そんなフロイドは梶くんとゲームした結果、敗北し、そこで何か気づきを得るんですよね。どんな気づきかというのは、ここでサックリ述べてしまうのはあまりに勿体無いので、本なり何なりに組み込みたいなと思っているのですが。
価値観のスイッチを捻ることになったとか、梶くんの中に自分が選ばなかった道を見たとか、そういうイメージでいます。
そんなわけで、フロイドは梶くんをどうやら特別に思っているみたいだぞ、ということがわかっているので、その特別感を表現するために当方では梶フロという表記を用いています。

梶くんも斑目に振り回されて随分男前になりましたし、フロイドに負けない精神力というか、強さを手に入れているので、太刀打ちできると思うんですよ。
フロイドと戦ったことでまたひとつ別の強さも手に入れたようですし。梶くんが得たものも随分大きかったのではないかな?と思うのは贔屓目でしょうか。
何にせよ、世間擦れしてるくせに浮世離れしたおじさんは、さっさと地面に引き摺り下ろしてボコボコにしてやらなきゃな………。
フロイドは陰謀を暴くために梶くんに協力してほしいと言ってるんですけど、なんか、私は疑ってますよ…本当に梶くんじゃなきゃダメだったのか…?と…。利用できる日本人だったら、誰でも良かったのでは…?と……。
特別な存在だと思っていることと、駒として利用することは両立できると思うんですよね。ネサラも大事な存在であるはずのリュシオンを一度売り飛ばして、料金受け取ってから奪い返してボロ儲けしようとしてますし。
そんな疑いの中で梶くんにはフロイドのどうしても顧みさせられてしまう胸の内の棘として生き抜いてもらいたいなあと考えています。これは私の願望です。

あーあ、雑魚ちゃん、自分のあり方を自覚して金儲けにつなげる意地のある男、大好きなんだろうな(他人事)。
自分と社会の折り合いをつけるのが妙にうまい男、好きなんだよなあ。でも身近なひとりの男とだけは折り合いをつけられないどうしようもなさが、もっと好きなんだよね。

と、いうことで、春コミでは鷹鴉に加えて梶フロのご挨拶が本になります。どちらも全年齢です。何卒よしなに。

2/24(日)HARU COMIC CITY向け新刊脱稿してます。
『孵化する日2』ティバーン×ネサラ(未成立)、B5サイズ40ページ。
ネサラの即位まわりを中心に、血の誓約を絡めながら解釈(捏造)する内容になっています。
配置は東5ホールほ06bです。
以下本文サンプル。

ロゴに変更を加えました。
純情ロマンチカの雰囲気を感じてしまい、ちょっと笑ってる。
数字のフォントのせいか?






今回『2』と銘打つ中で、鴉と鷺、鷹と鷺、鷹と鴉、鴉同士、鷹同士の関係を示しています。





ナンバリングしてある通り、前回の『孵化する日』から続いた内容になっています。当日は『孵化する日』ほか各種鷹鴉既刊を持ち込みます。
鷹鴉R18既刊『待人』およびスクネサひとりアンソロ『いい国つくろうスクネサランド』は残部僅少となりますので、今回の春コミをもって頒布終了といたします。鷹鴉以外の既刊はスクネサランドのみの持ち込みとなります。もしもご希望の他CP既刊がございましたら、当HPトップページに設置しているメールフォームフォームか、Twitter(@zacoinfo)よりご相談ください。

『孵化する日』に関しては、おそらくもう少しナンバリングを続けていくことになると思います。蒼炎頃まででいくつか解釈し、繋げておきたい概念があるので、取り組んでいければいいなと。
蒼炎発売からなかなかの年月が経つ中で、わたし個人が原作から受け取り、直感したティバーンやネサラの過去、関係について、ずっと表に出すことなくボンヤリ抽象的にした状態で本を出すなどしてきましたが、向き合う時がきたなと唐突に思ったため、こんなことになっています。
このあとセリノスは滅びを迎えるし、フェニキスとキルヴァスは決定的に仲違いするし、ベグニオンは介入度を高めてくるし、みんなドツボにはまっていく。何もいいことがないのがわかっているので、あまり…手を出したく…ないんですけど…。でも朽ちた森に立ち尽くす鴉王、見たいじゃないですか……。そしてその立ち位置は、いずれ鷹王が直面することになるものなんですよ…。業が深い(と書いてエモいと読む)。
「救われてほしい」という言葉を深く考えずに放り出してしまうことが多いですが、本当に救われてほしいのは誰で、何が救いで、それがどうもたらされるのか。わたしなりに考え、示していきたいと思っています。

どうしてこれを今言うのか? それは今が脱稿後で脳が一番ホカホカしている時期だからです。みんなはイベント後に初めてわたしの本を読むのに、わたしはもう1000回セリフチェックで読み返しているので(それだけチェックしてもミスが残るのはな〜んでだ?)、タイムラグが生じてしまうんですよね。
基本的にイベント当日には脱稿してから丸々1ヶ月経ってるんですよ。優良入稿オタクなので。

ところで春コミ、ミスフルのプチオンリーがあるんですけど、どうしたんですか!? どうしたと言うか、あの、いや、嬉しいです。
その告知を見て久々に読み返したら、自前の性癖が変わっていたのか、かつてハマっていたCPとは違うところに足を取られて捻挫しました。片割れは同じだったので大した違いではないんですけど…。捕×投、概念が性癖すぎる。とはいえ一番概念的に「受け」なのは遊撃手だと思います、内野の要、俊敏さ・器用さのイメージ、一種の独立性。

……。

あの……。

『群青にサイレン』なんですけど……。

この書き出しからほとばしる出落ち感よ。
すみません、群サイへのお気持ちはまた後日エントリーを分けて書きたいと思います。連載中の作品で掲載誌移籍して2/4から連載再開とのことです。高校野球の部活ものなんですけど、同人誌で見た!みたいな感情でボコボコにされます。そのため、野球マンガだぞ〜の気持ちで読むと、そこまで野球はしていない。今日(2/3)いっぱいまで現行公開分全てweb上で見れるのでとりあえずtwitterで検索かけて見つけるのがいいんじゃないでしょうか。嘘喰いの時もこんな感じでズタズタになったので、こういうマーケティングが今後流行していくのかな(すでに流行真っ只中という感はある)。
今は新しいキャッチャーが登場して、こいつがオカン属性放り込んできたので、攻めだな…と見守っているところです。すみません本当に、まず受けとか攻めとかいうの、正しくないとはわかっています。ただ端的に概念を述べるときに非常に使いやすいので…つい…やってしまうんですよね、語彙に乏しいせいでこんなことに。

月初にこんな感情爆弾をぶつけられ、月末にはグラブル恐怖のシーズンイベント(※ベリアルが出てくる)も迫っているので、どうなってしまうのか2月。生きて3月を迎えることができるのか。
とりあえず、2月中にまたブログ更新できたらいいなと思っています。

2019年、あけましておめでとうございます。
今年も一年間、特に大きな動きはないと思いますが、何卒お付き合いのほどよろしくお願い申し上げます。

直近のイベント参加は、
2019年2月24日のHARU COMIC CITY を予定しております。
参加ジャンルはFE10(鷹鴉)、全年齢新刊を用意中です。
前回の鷹鴉本『孵化する日』の続きです。ネサラの即位あたりをネチネチ捏造しています。
サークルカットは下記です。

本ができましたらまたご連絡いたします。

久々に当サイトのコンテンツに手を加えまして、MEMOページ にトピックを追加いたしました。上が古いトピック、下が新しいトピックの並びになっています。
更新内容は血の誓約に関する情報の整理および解釈になります。新刊にも関連する要素が含まれますので、必要があると思ってまとめてみました。血の誓約に関してはネサラという人物についても、鷹鴉ほか関係性においても重要な項目だと捉えているので、折を見てよりふさわしい形式に整えたいと考えています。が、取り急ぎ現在はこの形で置いておかせてください。

春コミ以降のイベントに関しては、鷹鴉でもう何冊かは出すことになると思います。セリノスの大虐殺のあたりも色々思うところはあるので…
王様がグラグラしている様を考えるとこっちの胸も苦しくなってくるのですが、この人は時々妙に潔いところがあると思うので、すぐにケツをまくった態度になる気がする、その少しだけ浮いている隙のような部分を、なんとかして大事にしていきたいと思っています。

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エリザベート大好き!

本当は宝塚大劇場に行きたかったものを、ことごとくチケットが手に入らず、なんとか手に入れたチケットで先日、東京宝塚劇場公演を拝見してまいりました。
宝塚の演目で何が好き?ってなると一番はどうしてもこのエリザベートになるんですよね…改めて要素を並べると完全に性癖になってしまっている。詳しくは後述します。
と言ってもエリザベートは宝塚のオリジナル脚本ではなく本家本元オーストリアの方で生まれたものを日本に輸入して小池修一郎がいい感じに宝塚ナイズするという方式になっているので、これを宝塚でーす!と大声あげてると怒られるのかもしれない。でも本家や東宝版を見たことがないんですよね…。今後機会があれば見てみたいなと思っています。
ただ、個人の趣味の話ですが、宝塚の演目で好きなものをあげるとスカーレット・ピンパーネルとか、アーネスト・イン・ラブとかどうしてもそういう原作ありの作品ばかりに偏ってしまうので、宝塚オタクを自称するときに少し気後れする部分があるんですよ…宝塚のが好きなので確実に宝塚オタクなんですが…。
あと作品とは全然関係がない話ですけど、今回初めて平日の夜の部の東京公演に行きまして(昼間の兵庫まで行ってることが多いので)、客層が全然違うことに驚きましたね。もちろんエリザベートという演目だったから?という部分もあると思いますけど、退勤後のスーツのおじさんが今まで見たことないくらいたくさんいて、普段は有閑マダムみたいな人に囲まれて見ているので新鮮でした。

宝塚版エリザベート、話の筋はわかってるし、歌も多分全部歌えるくらいには何度も見聞きしている(劇場に行くのはもちろん、CDやDVDも見ている)のですが、それでも再演決定するたびに大劇場で観たい!という一念でチケット戦争に乗り出してしまうのは、「ナマ」だからこその魅力を一段と感じる作品だからだと思います。
多人数コーラス曲もたくさんあるし、ソロ曲でもみんな声張って歌ってくれるので歌の圧がすごくて、CDで聞くのとは迫力が段違いなんですよ! 私は特にやんややんやした曲が好きなので! 舞台上の演者達から発せられるちからの集合を、直接浴びたい。
名指しすると「最後の証言」のコーラスがめちゃめちゃ好きなので永遠に聴いていたい。

そんな何種類も何回も見ているオタクが今回見てここいいな!ここ特徴的だな!と思った部分を上げていこうと思います。
概要はこんな感じ。
・シシィの生命力がすごい
・フランツの声が甘い
・皇太后があまり強くない
・ルキーニが閣下のこと大好きすぎる

・シシィの生命力がすごい
もともとシシィは元気一杯おてんば娘なので生命力抜群なのですが、1幕で皇帝と一目惚れしあって結婚したと思ったら皇太后にはいびられるし皇帝は頼りにならねえしこのクソの世の中〜〜〜〜〜死んでやる〜〜〜〜…いや誰が死ぬか!生きてやる!!!!私の意思で!!!!!!!! の気持ちが存分に詰まったソロ曲「私だけに」! シシィの自由への決意を象徴する力強い歌いっぷりに感服いたしました…。「強いな…」の第一印象は覆ることなく、フィナーレ目前のデュエットあたりでも底から輝いていた印象です。コーラス曲が好きなんですけど、こうやってガッツリ聴かせてくれるとお前のことも好きになっちゃうだろ〜〜〜!!!

・フランツの声が甘い
歌声がなんだかすげえ〜〜〜〜甘くて、すげえ〜〜〜〜〜優しくて、ホァーーーン…そっか……って感じ…(?)。こいつ苦労してないのか…自覚していないのか…という感じ…。どこが特にそういう印象を与えてくれたのかいまいち覚えてないのですが、とにかく「甘さ」が前面に出ていたように感じました。シシィもこの甘さに惹かれたのかな〜?

・皇太后があまり強くない
これは私の勝手な思い込み?印象?なんですが、皇太后ゾフィーって「強い」女(「宮廷でただ1人の男」とまで言われているため)のイメージが強く、国を生かし支えるための強さ・厳しさ・激しさを隠さず持ち続け、その頑迷さが疎ましくも頼りになるのは確かだと感じさせる女性だと思っていたものが、今回はあまりそういう方向の造形ではなく、多少の物足りなさを感じたのでした。噂によると、マザコン皇帝を溺愛する母親の側面に寄った演じ方をしているとの発言もあったようで、それならなるほどなと腑に落ちたわけです。もちろん以前のゾフィーの演じにも息子への偏愛はあったと思いますが、それでも皇太后として国を守る優先度の方が高そうな人だなと今まで感じてきたので、息子の方を優先しそうな今回のゾフィーには少し驚きました。
強くないゾフィーを最も感じたのは、「(娼婦のデリバリーを)取ったことあるのね? 大司教様」セリフでした。あんまり威圧感がなかったというか…。別に威圧感がないといけないシーンでは全くないんですけど…強い女には強くあるべき全てのシーンで強くあって欲しいので…。

・ルキーニが閣下のこと大好きすぎる
これねえ、これが本当に、今回一番グッときた部分なんですよ。
閣下がルキーニと同じ壇上に上がるシーン、ルキーニの目線が大抵閣下を追いかけているので…。あとあの慇懃無礼にもなりかねない大仰なお辞儀もなんだか心底敬服しているように見えましたし、何より閣下が登場すると、顔やお声が本当に嬉しそうに弾むんですよね。民衆を扇動する閣下の呼びかけに合いの手を挟むお声が本当に、本当に楽しげなんですよ〜〜!!
あとこれは役には関係ないんですが、役者の顔が良すぎません?
オタクの割にはあんまり役者に詳しくないのでこんなに顔のいい人間がまた…いるもんだなあ…としみじみ思い、気が付いた時には役者のブロマイドを3種類購入していたのでやっぱり私はオタクです。
ルキーニ役を演じている間はヒゲを生やしていて、群舞〜フィナーレではそのお髭は取られてしまうんですが、そのとった顔、顔がいい、顔が…。
ルキーニ役は顔を浅黒く塗っているので、余計にハンサム(死語)に見えてしまう向きもありつつ、それでも圧倒的に顔がいい…。
ルキーニの時の表情は悪役然としているというか、ニヒル方向に寄りつつ、精神錯乱のふりをしているな!と言われたりする程度にはブッツンしちゃってる系の人間の顔をしている(どんな顔?)ので、ルキーニじゃない顔を見た時に「本当にお前がルキーニだったのか〜!?!?!?!顔がいい〜〜〜〜」とひっくり返ってしまった。ブロマイド買ってじっくり眺めたらルキーニの時点で既に顔が良かった。

以上が大まかな感想です。
いや〜良かった〜〜〜〜めっちゃ良かった〜〜〜〜また見たい〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!何度でも見たい〜〜〜〜〜〜!!!!!!
冒頭でも述べましたが、劇場におじさんたちが多かった中で、次期の演目「ファントム」のポスターを眺めていたおじさんが隣のおじさんに「これもチケット取りにくくてさ〜〜〜」と語っていたのが印象的でした。マダムもおじさんも私もチケットを頑張って取るんだよ。人類は平等なんだ(本当か?)。

***

で〜性癖の話をしてもいいですか〜…。
母親の胎内にいた頃から宝塚楽曲の洗礼を浴びせ続けられてこの世に生を受けているので、宝塚歴がもう年齢飛び越えてるような生き方をしてきているんですけど、そういう生活をしているとですね、宝塚の世界観になんらの違和感を抱く余地がないんですよ。そうするとどうなるかっていうと、その、なんでもいいので男役の舞台写真を見て欲しいんですけど、見ました? 見ましたね? そうなんですよ…デコなんです………。
私はデコを出した男が大好きです…。
しかもトート閣下の髪型は大抵長髪&ゆるウェーブで、黒燕尾群舞の時にはそれを…後ろで1つにまとめて結わえてるんですよね……。
この尻尾、めっちゃ見覚えあるよな…な……。
さらにそこから視線を少し下にずらしていただくと、もう、すぐに見えるんですが、衣装の色がトンチキなんですよね……。どんな人生を歩んできたら紫色のスーツや、ピンクスパンコールで彩られたジャケットや、黄色いサッシュを身につける場面に立ち会うことになるんだ…こういう人生です。
ゲームジャンルだとキャラクター造形のポイントとしてイメージカラーというか、はっきりした色彩を与えられるのはよくあることだと思いますが(いまだにどうして鷹王の色彩が赤いバンダナ&布!緑の外套!黄色いインナー!なのかを理解できてない。髪・ベルトは黒だし、何色を中心に考えたらいいのかわからない。そもそもあの赤い布はなんなんだ?)、最近の雑魚ちゃんは現代日本を舞台に生きている推しにもショッキングピンクのシャツを着せたくて着せたくてたまらないんだもんな…病状が悪化してるんだと思います。

あとカップリング観も特にエリザベートに引きずられてるのかもしれない…と最近気づき始めました。というのも、それこそ最近のCP傾向が人外×美みたいなとこがあるじゃないですか。エリザベートの公式CPを見るとですね、1つが結婚までしたフランツ×エリザベートで、もう1つがトート閣下×エリザベートじゃないですか。トート閣下が何かっていうと、死の擬人化なわけですよ。死という概念そのもの! まさかの生物ですらないという…これって究極の…人外なのでは……?
エリザベートが死後、閣下の手を取り死の世界へと導かれていくシーンで、彼女は「連れていって 闇の彼方遠く 自由な魂 安らげる場所へ」と歌うんですよ(「愛のテーマ」より)。
自由を求め、多くのものを犠牲にし、苛烈に生きてきた彼女が最後に求めたものが安らぎで、それは死の先でしか見つけられなかった。逃げ場として死を意識しながらもそれを選ぶことができなかった彼女が、ルキーニによって不意にもたらされた死を受け入れたのは、「死」への愛が芽生えていたからなのではないかと思います。フランツ(あるいは多くの人々)は「人が死を愛するわけがない」と考えますが、何度も死と近く向き合ったエリザベートが必ずしも死を憎み、遠ざけようとしていたかと言えばそうではないのではないでしょうか。
何が言いたいのか、つまり、相容れないはずの存在が近くにあることで心惹かれずにはいられない側面を、自推しに…付与してしまう……性癖です………。
てか、この世でや安らげない男が好きすぎんだよ。
何も知らずに安穏と暮らしてゆくにはあまりにも罪深い男。
生まれる時代が違っていたら、出会った人間が違っていたら、もっと楽な──穏やかな生き方もあっただろうに、それができなかった男たち。
生き急ぐ男、大好き!

ところで「エリザベートはフランツを愛していたのか? トートを愛したのか?」の問いが立てられている中で、明確な答えは示されていません。多分。
宝塚版は宝塚の枠組みから考えてトート(トップ男役)×エリザベート(トップ娘役)で確定のはずですが、じゃあフランツを愛していなかったのか?と言えばそうではないと思います。人間という枠組み(どんな枠組みだ?)の中でエリザベートが愛したのは、確かにフランツだったと思います。だけどエリザベートは「自由」の概念になりかけていたのでは? あるいは自由の概念になることを望んでいた、ということは考えられませんか? 死後、自由の概念になったエリザベートは、死の概念トートと概念同士愛しあえるようになったのでは…と考えると、概念と人間はうまくカップリング出来ない説が浮上してくるわけですね。
もしもフランツが何らかの概念を獲得していたなら、黄泉の国でもエリザベートの愛を巡って閣下とバトることも可能だったのではないでしょうか。ただ残念なことに、劇中でフランツは概念に昇華できる何も付与されなかったと思います。
それで、死後「自由」になったエリザベートは「死」と寄り添うことになったのだと思いました。

***

以上、感想だったり性癖だったり解釈だったり話があっちこっちに行ってしまいましたが、まとめて2018エリザベート観劇の振り返りとさせてもらいます。
特にプロットもなく書いているので話がぐちゃぐちゃで申し訳ないです。

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