エリザベート大好き!
本当は宝塚大劇場に行きたかったものを、ことごとくチケットが手に入らず、なんとか手に入れたチケットで先日、東京宝塚劇場公演を拝見してまいりました。
宝塚の演目で何が好き?ってなると一番はどうしてもこのエリザベートになるんですよね…改めて要素を並べると完全に性癖になってしまっている。詳しくは後述します。
と言ってもエリザベートは宝塚のオリジナル脚本ではなく本家本元オーストリアの方で生まれたものを日本に輸入して小池修一郎がいい感じに宝塚ナイズするという方式になっているので、これを宝塚でーす!と大声あげてると怒られるのかもしれない。でも本家や東宝版を見たことがないんですよね…。今後機会があれば見てみたいなと思っています。
ただ、個人の趣味の話ですが、宝塚の演目で好きなものをあげるとスカーレット・ピンパーネルとか、アーネスト・イン・ラブとかどうしてもそういう原作ありの作品ばかりに偏ってしまうので、宝塚オタクを自称するときに少し気後れする部分があるんですよ…宝塚のが好きなので確実に宝塚オタクなんですが…。
あと作品とは全然関係がない話ですけど、今回初めて平日の夜の部の東京公演に行きまして(昼間の兵庫まで行ってることが多いので)、客層が全然違うことに驚きましたね。もちろんエリザベートという演目だったから?という部分もあると思いますけど、退勤後のスーツのおじさんが今まで見たことないくらいたくさんいて、普段は有閑マダムみたいな人に囲まれて見ているので新鮮でした。
宝塚版エリザベート、話の筋はわかってるし、歌も多分全部歌えるくらいには何度も見聞きしている(劇場に行くのはもちろん、CDやDVDも見ている)のですが、それでも再演決定するたびに大劇場で観たい!という一念でチケット戦争に乗り出してしまうのは、「ナマ」だからこその魅力を一段と感じる作品だからだと思います。
多人数コーラス曲もたくさんあるし、ソロ曲でもみんな声張って歌ってくれるので歌の圧がすごくて、CDで聞くのとは迫力が段違いなんですよ! 私は特にやんややんやした曲が好きなので! 舞台上の演者達から発せられるちからの集合を、直接浴びたい。
名指しすると「最後の証言」のコーラスがめちゃめちゃ好きなので永遠に聴いていたい。
そんな何種類も何回も見ているオタクが今回見てここいいな!ここ特徴的だな!と思った部分を上げていこうと思います。
概要はこんな感じ。
・シシィの生命力がすごい
・フランツの声が甘い
・皇太后があまり強くない
・ルキーニが閣下のこと大好きすぎる
・シシィの生命力がすごい
もともとシシィは元気一杯おてんば娘なので生命力抜群なのですが、1幕で皇帝と一目惚れしあって結婚したと思ったら皇太后にはいびられるし皇帝は頼りにならねえしこのクソの世の中〜〜〜〜〜死んでやる〜〜〜〜…いや誰が死ぬか!生きてやる!!!!私の意思で!!!!!!!! の気持ちが存分に詰まったソロ曲「私だけに」! シシィの自由への決意を象徴する力強い歌いっぷりに感服いたしました…。「強いな…」の第一印象は覆ることなく、フィナーレ目前のデュエットあたりでも底から輝いていた印象です。コーラス曲が好きなんですけど、こうやってガッツリ聴かせてくれるとお前のことも好きになっちゃうだろ〜〜〜!!!
・フランツの声が甘い
歌声がなんだかすげえ〜〜〜〜甘くて、すげえ〜〜〜〜〜優しくて、ホァーーーン…そっか……って感じ…(?)。こいつ苦労してないのか…自覚していないのか…という感じ…。どこが特にそういう印象を与えてくれたのかいまいち覚えてないのですが、とにかく「甘さ」が前面に出ていたように感じました。シシィもこの甘さに惹かれたのかな〜?
・皇太后があまり強くない
これは私の勝手な思い込み?印象?なんですが、皇太后ゾフィーって「強い」女(「宮廷でただ1人の男」とまで言われているため)のイメージが強く、国を生かし支えるための強さ・厳しさ・激しさを隠さず持ち続け、その頑迷さが疎ましくも頼りになるのは確かだと感じさせる女性だと思っていたものが、今回はあまりそういう方向の造形ではなく、多少の物足りなさを感じたのでした。噂によると、マザコン皇帝を溺愛する母親の側面に寄った演じ方をしているとの発言もあったようで、それならなるほどなと腑に落ちたわけです。もちろん以前のゾフィーの演じにも息子への偏愛はあったと思いますが、それでも皇太后として国を守る優先度の方が高そうな人だなと今まで感じてきたので、息子の方を優先しそうな今回のゾフィーには少し驚きました。
強くないゾフィーを最も感じたのは、「(娼婦のデリバリーを)取ったことあるのね? 大司教様」セリフでした。あんまり威圧感がなかったというか…。別に威圧感がないといけないシーンでは全くないんですけど…強い女には強くあるべき全てのシーンで強くあって欲しいので…。
・ルキーニが閣下のこと大好きすぎる
これねえ、これが本当に、今回一番グッときた部分なんですよ。
閣下がルキーニと同じ壇上に上がるシーン、ルキーニの目線が大抵閣下を追いかけているので…。あとあの慇懃無礼にもなりかねない大仰なお辞儀もなんだか心底敬服しているように見えましたし、何より閣下が登場すると、顔やお声が本当に嬉しそうに弾むんですよね。民衆を扇動する閣下の呼びかけに合いの手を挟むお声が本当に、本当に楽しげなんですよ〜〜!!
あとこれは役には関係ないんですが、役者の顔が良すぎません?
オタクの割にはあんまり役者に詳しくないのでこんなに顔のいい人間がまた…いるもんだなあ…としみじみ思い、気が付いた時には役者のブロマイドを3種類購入していたのでやっぱり私はオタクです。
ルキーニ役を演じている間はヒゲを生やしていて、群舞〜フィナーレではそのお髭は取られてしまうんですが、そのとった顔、顔がいい、顔が…。
ルキーニ役は顔を浅黒く塗っているので、余計にハンサム(死語)に見えてしまう向きもありつつ、それでも圧倒的に顔がいい…。
ルキーニの時の表情は悪役然としているというか、ニヒル方向に寄りつつ、精神錯乱のふりをしているな!と言われたりする程度にはブッツンしちゃってる系の人間の顔をしている(どんな顔?)ので、ルキーニじゃない顔を見た時に「本当にお前がルキーニだったのか〜!?!?!?!顔がいい〜〜〜〜」とひっくり返ってしまった。ブロマイド買ってじっくり眺めたらルキーニの時点で既に顔が良かった。
以上が大まかな感想です。
いや〜良かった〜〜〜〜めっちゃ良かった〜〜〜〜また見たい〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!何度でも見たい〜〜〜〜〜〜!!!!!!
冒頭でも述べましたが、劇場におじさんたちが多かった中で、次期の演目「ファントム」のポスターを眺めていたおじさんが隣のおじさんに「これもチケット取りにくくてさ〜〜〜」と語っていたのが印象的でした。マダムもおじさんも私もチケットを頑張って取るんだよ。人類は平等なんだ(本当か?)。
***
で〜性癖の話をしてもいいですか〜…。
母親の胎内にいた頃から宝塚楽曲の洗礼を浴びせ続けられてこの世に生を受けているので、宝塚歴がもう年齢飛び越えてるような生き方をしてきているんですけど、そういう生活をしているとですね、宝塚の世界観になんらの違和感を抱く余地がないんですよ。そうするとどうなるかっていうと、その、なんでもいいので男役の舞台写真を見て欲しいんですけど、見ました? 見ましたね? そうなんですよ…デコなんです………。
私はデコを出した男が大好きです…。
しかもトート閣下の髪型は大抵長髪&ゆるウェーブで、黒燕尾群舞の時にはそれを…後ろで1つにまとめて結わえてるんですよね……。
この尻尾、めっちゃ見覚えあるよな…な……。
さらにそこから視線を少し下にずらしていただくと、もう、すぐに見えるんですが、衣装の色がトンチキなんですよね……。どんな人生を歩んできたら紫色のスーツや、ピンクスパンコールで彩られたジャケットや、黄色いサッシュを身につける場面に立ち会うことになるんだ…こういう人生です。
ゲームジャンルだとキャラクター造形のポイントとしてイメージカラーというか、はっきりした色彩を与えられるのはよくあることだと思いますが(いまだにどうして鷹王の色彩が赤いバンダナ&布!緑の外套!黄色いインナー!なのかを理解できてない。髪・ベルトは黒だし、何色を中心に考えたらいいのかわからない。そもそもあの赤い布はなんなんだ?)、最近の雑魚ちゃんは現代日本を舞台に生きている推しにもショッキングピンクのシャツを着せたくて着せたくてたまらないんだもんな…病状が悪化してるんだと思います。
あとカップリング観も特にエリザベートに引きずられてるのかもしれない…と最近気づき始めました。というのも、それこそ最近のCP傾向が人外×美みたいなとこがあるじゃないですか。エリザベートの公式CPを見るとですね、1つが結婚までしたフランツ×エリザベートで、もう1つがトート閣下×エリザベートじゃないですか。トート閣下が何かっていうと、死の擬人化なわけですよ。死という概念そのもの! まさかの生物ですらないという…これって究極の…人外なのでは……?
エリザベートが死後、閣下の手を取り死の世界へと導かれていくシーンで、彼女は「連れていって 闇の彼方遠く 自由な魂 安らげる場所へ」と歌うんですよ(「愛のテーマ」より)。
自由を求め、多くのものを犠牲にし、苛烈に生きてきた彼女が最後に求めたものが安らぎで、それは死の先でしか見つけられなかった。逃げ場として死を意識しながらもそれを選ぶことができなかった彼女が、ルキーニによって不意にもたらされた死を受け入れたのは、「死」への愛が芽生えていたからなのではないかと思います。フランツ(あるいは多くの人々)は「人が死を愛するわけがない」と考えますが、何度も死と近く向き合ったエリザベートが必ずしも死を憎み、遠ざけようとしていたかと言えばそうではないのではないでしょうか。
何が言いたいのか、つまり、相容れないはずの存在が近くにあることで心惹かれずにはいられない側面を、自推しに…付与してしまう……性癖です………。
てか、この世でや安らげない男が好きすぎんだよ。
何も知らずに安穏と暮らしてゆくにはあまりにも罪深い男。
生まれる時代が違っていたら、出会った人間が違っていたら、もっと楽な──穏やかな生き方もあっただろうに、それができなかった男たち。
生き急ぐ男、大好き!
ところで「エリザベートはフランツを愛していたのか? トートを愛したのか?」の問いが立てられている中で、明確な答えは示されていません。多分。
宝塚版は宝塚の枠組みから考えてトート(トップ男役)×エリザベート(トップ娘役)で確定のはずですが、じゃあフランツを愛していなかったのか?と言えばそうではないと思います。人間という枠組み(どんな枠組みだ?)の中でエリザベートが愛したのは、確かにフランツだったと思います。だけどエリザベートは「自由」の概念になりかけていたのでは? あるいは自由の概念になることを望んでいた、ということは考えられませんか? 死後、自由の概念になったエリザベートは、死の概念トートと概念同士愛しあえるようになったのでは…と考えると、概念と人間はうまくカップリング出来ない説が浮上してくるわけですね。
もしもフランツが何らかの概念を獲得していたなら、黄泉の国でもエリザベートの愛を巡って閣下とバトることも可能だったのではないでしょうか。ただ残念なことに、劇中でフランツは概念に昇華できる何も付与されなかったと思います。
それで、死後「自由」になったエリザベートは「死」と寄り添うことになったのだと思いました。
***
以上、感想だったり性癖だったり解釈だったり話があっちこっちに行ってしまいましたが、まとめて2018エリザベート観劇の振り返りとさせてもらいます。
特にプロットもなく書いているので話がぐちゃぐちゃで申し訳ないです。
総評: ひ… ひぇ……
あらすじ:
わたし、ざこちゃん! ライブ参加経験は去年のキンプリライブが初めてだったアイドルアニメ初心者! だけどひょんなことからドリフェス!のファイナルライブに参戦することになっちゃった!? 一体わたし、これからどうなっちゃうの〜!? (※チケットをお譲りくださったAさん、ありがとうございました)
ということで、日曜日は武道館でライブを鑑賞しておりました。上述の通り当方ライブ参加経験に乏しく、足を運ぶイベントごとといえばもっぱら同人誌即売会か宝塚観劇という状況を前提としたライブレポが下記です。日本武道館、名前を耳にしたことは何度かありましたが、今回初訪問でした、キンプリのライブは幕張メッセだったので。
上のtwitterでは1人の男についてしか書いてないので恐縮ですが、実際にはステージに上がった男は全部で7人。内訳は「Dear Dream」グループメンバー5名+「KUROFUNE」メンバー2名。ただし、終盤の演者の挨拶で「僕たち14人」という言葉が出てきたので、「彼ら(演者)」1人≒(あるいは明確に≠なのかも)キャラクター1人という計算をする世界観だということがわかりました。
また、富田さん(演者)が「僕は純也(キャラクター)にはならないという気持ちでずっとやってきた。僕は純也を尊敬しているし、純也も僕を尊敬してくれている。(オタクはここで富田さんの「アイドル」への葛藤を感じ取りました) だけど今日のライブで純也の気持ちもわかった気がする」と仰っていたのもあり、これが3年間、人間同士で向き合ってきた重みかぁ…と歴0日のオタクでもわかったような気になってしまいました。ドリフェスは始動から3年だったそうです。
3年といえば、正木さん(演者)は「芸能活動を始めてから3年間ずっとドリフェスと一緒だった」と仰っていたし、誰か忘れたけど「3年間、長かったね」とのいう言葉もあったし、株元さん(演者)は「ドリフェスはアニメやアプリやラジオや、色々なメディアで展開されていたけど、みんなは3年間でどれに触れてくれて今ここにいるのだろう」というようなことも仰っていたので、スタッフやファン含めたくさんの人々にとって3年という年月がどれだけの価値を持ち得たのか、互いに価値を与えあえたのか、わたしには存在しない「経験」に感じ入ってしまったし、それを立ち会った人々みんなで共有できていたあの空間は、きっと今までもこれからも二度と存在し得ないのでは?と考えて、これが「FINAL」ということなのか…としんみりしてしまいました。
歴0日のオタクが当該コンテンツとファーストコンタクトを果たした場、実は【ドリフェス!Presents FINAL STAGE at NIPPON BUDOKAN 「ALL FOR TOMORROW!!!!!!!」】という題目(長い)で、要するにアイドル解散ライブだったんですね…いや、解散という言葉は多分正しくなくて、ドリフェスは先述の通りメディアミックスコンテンツなので、それらの展開をストップする…すなわち休止が正しい表現かな?という感じです。なんにせよ、今後のコンテンツ更新のめどはありませんよという状況だと認識しています。
私は音楽業界のハコや動員の概念に理解が乏しいので計りかねるのですが、彼らの発言から考えるに、「3年で武道館ライブなんて普通じゃあり得ない」ことだったようです。それに対して「ファイナルだったから武道館に立ってるわけじゃない」「みんな(スタッフ、ファン)が僕たちをここまで連れてきてくれた」「これが僕たちの実力なんです」とも述べていて(発言者はバラバラな上に覚えてないのでごめんなさい)、「だからこれは僕たちの【勝ち】なんです!」という力強い言葉があり、ドリフェス!というコンテンツが、演者が、ファンが、どれだけ互いを大切にしあってきたのか、全然知らないのに泣けてきてしまいました。
もうね〜オタク、感受性が豊かだから…その割に語彙がないので、もう、万感とかエモーショナルとかあはれとかしか言えないわよ……なんだろうね。
この楽しさを一回手放してでも、未来にもっといいことがあるって信じているけど、この楽しさもずっと失いたくないみたいな。
彼はコンテンツのおわりについて「失うものなんてない、得たものばかりだ」って言ってくれたけど、きっと多く人にとってはそうじゃなくて、無限だったはずの未来への希望が失われてしまったのではないかな、とおもいます。本当はなかったものだけど、妄想だけど、実現しないけど、胸に抱いた思いが行き場を失ってしまったのではないでしょうか。
もちろんその思いはドリフェス!との出会いで生まれ育まれたもので、オタクが「得た」ものだけど、思いそのものは失われないけど、欲を言えばこの思いをドリフェス!くんが見捨てないでいてくれることを願っています。
どうして終盤の挨拶の話を延々しているのかというと、暦0日は伊達じゃないのでセトリがどうとか歌詞がどうとかが全くわからないからです。
ドリフェス!というアイドルコンテンツは「ファン」あるいは「応援」の可視化がうまくてすごいなあと思います。システムに関しても無知なのですが、アイドルの衣装にファンが干渉できるシステムがあるみたいで(ドリカと呼ばれる衣装カードをアイドルに投げつけてアイドルがキャッチ&お着替えする仕組みがある模様)、そういう応援方法もある一方で、単純にライブに参加し光る棒振り回す応援もありつつ、これは想像なんですけど多分全員が全員ドリカ投げつけなくてもいいと思うんですよね。多分。そういう応援の多様性みたいなものを認める姿勢みたいなものが、いいなあと思います(本当に語彙が尽きてきた)。
またライブの話に戻るのですが、太田さん(演者/キャラクターのイメージカラーは緑色)が「(ソロ曲の時に)会場一面が緑色になっているのを見て嬉しかった」とか、他の場面でも「スタンド席のみんなも見えてるからね!」とか「今いろんな表情の人がいますけど…泣いてる人、笑顔の人、スンッ…てしてる人……」とかそういうコメントがあって、こんなに「見てるから!!!!!!!!」って威圧(?)してくるアイドルもいるんだなあ…と新鮮な気持ちでした、宝塚観劇ではほぼほぼそういうことがないので。客席降りはありますけど。
そんな中で、KUROFUNE2人のMCの時に「あれやって見たいんだよね〜会場を金と銀(2人それぞれのイメージカラー)で埋めるやつ!」という希望の元、「ここのブロックの人は金! ここのブロックは銀! その隣は金! そんで銀!…」の指示を受けたオタク、下記のような配置?でオタクライトを点灯させまして(うろ覚え)
それを見たプリンス、なんて言ったと思います?
「王冠みたいだね〜!」
プ…プリンス〜〜〜〜〜!!!! おまえが即位の時にかぶる王冠が俺たちだ〜〜〜〜〜!!!!
※プリンス…冒頭のtweet参照(?) ファンサ意識が振り切れており、王子キャラ設定をバチバチに固めた立ち居振る舞いをする。ファンからは「即位して〜♡」コールを投げかけられるし、本人も「あなたのためなら何度でも即位する!」などと述べている。何回も即位しちゃ国としてマズイだろ(小声)。
てかプリンス(演者)、脚なげえ〜〜体薄い〜〜〜〜株元さんがアンコールの曲中にプリンスを肩車するの思わず固唾をのんで見守ってしまった、倒れないか心配で…。いやおまえそれはだって…建築基準法第55条に違反してるだろ…? え……?
ともかく、プリンスは即位すれば王になるし、ひとはやがて立場を変えていくものだと思います。私の中の彼らは永遠にアイドルでいてくれるかもしれないけど、やっぱり旅立っていってしまうかもしれない。現実世界の演者の方々もまた新しい何かになっていくのではないでしょうか。そして、またいつか、変わり、成長した「2人」が再会し、新しい姿を私たちに見せてくることを願って、本日のブログを〆たいと思います。
少し時間が経ってしまいましたが、参加者の皆様お疲れ様でした。本を手に取ってくださった方、お声がけくださった方、ありがとうございました。何か少しでも御心に残るような本であれば幸いです。
いつもどおりboothにて通販開始しておりますので、ご興味おありの方はご確認いただければと存じます。よろしくお願いいたします。
次回参加イベントは2/24の春コミを予定しています。ジャンルは未定ですが…描きたいもの、各ジャンルでいっぱいあるので整理して考えて決めます。
はじめて嘘喰いで参加して、机上4/5が峨マルだったりしましたが(もともと峨マルで参加するつもりで峨マル新刊も先に仕上がっていたので)、色々な同人女がいるんだなあと改めて感じた日でした。プチオンリーが開かれていたこともあってか賑わいもひとしおで、夜の飲み会(人間はそれをアフターと呼ぶのでは?)にも参加させてもらって、ジャンル色とか傾向とか教えてもらってきました。とても勉強になりました。その節はありがとうございました。
ところで久しぶり?に2冊新刊を出すことができたので我ながらよくやったなと思っています(前回のスパコミから時間があったことも大きい要因ではありますが)。同人活動においてもカナメはToDo管理だと思っていて、どうやって管理するのがいいか、何かいいアプリはないのか、結構探していて、今回【trello】というアプリ?プラットフォーム?を活用してうまいことできたので、少しご紹介させてください。
↑アプリトップはこんな感じ、一冊ごとに「ボード」を新規作成して管理していくことにしました。
このボードに「リスト」を作り、リストの中の「カード」でタスクの1つ1つを管理します。
プロットもここでほぼ完成する。コマ割り〜ネームは紙で作業しているので、いつかこれもデジタル移行したいけど、作業スペースの特性上どうしても難しい気がする。
ちなみにリストの分類はこんな感じ。タスクのジャンルではなく、進行度合いで管理しています。いわゆるカンバン方式という奴…もともとカンバン方式アプリを探していて見つけたアプリなので、多分これは正し目の使い方のはず。
最も重要なケツ、入稿予定日はカードの詳細情報で設定。ここでカードごとにラベル設定できるので、タスクのジャンル分けもできる。
推敲、仕様決定のプロセスやメモ、ひとり会議のlogも残る。
タスクのスタート時、終了時にはカードをリスト間で移動。これが1番めんどいので結構怠ってしまうが困らないので気にしなくていい気がする(doingが埋もれない程度には移動させる)。
こんな感じで作業していて、割と気に入ったので今後も使っていきたいと思います。春コミどうしようかなーーーーー!!!というわけで、また2月にお会いできれば嬉しいです。さよなら。
スパーク新刊(2種)のサンプルです。
①峨マル新刊「楽園はさかしま(R18)」P32
峨王のモチベーションと、それに伴う感情の起伏をマルコは計りかねるがーー
前回の本「神様のいない庭」からあるようなないような、マルコの心の奥の柔らかい部分についても少し。
あと表紙が特殊加工になってる、はず。
②伽羅貘「巨乳大作戦(R18)」P32
タイトルありきで描いてたはずが、いろいろあって廃坑編後の再会を経た斑目が「伽羅さんが俺のものになった」ことを実感する話になりました。
どうして(電話猫顔)
というわけで、当日はよろしくお願いします!
一応、近況報告がてらペーパーがわりのポストカードサイズの紙をおいておきます。
あと、HPの方で、Twitterでちまちま描いてた峨マルの漫画が溜まってたので追加しておきました。
SPARKは嘘喰いスペースで参加します!サークルカットはこんな感じ↓
新刊は嘘喰い/伽羅貘と、当初の予定通りES21/峨マルのそれぞれR18になります。峨マルの方は既刊も持ち込むのでご利用ください。配置は東5ホールて13aです。
爆乳×うさんくさい男の運命力高いホモが大好きです¡¡¡¡¡¡¡¡
稲垣理一郎がツイッターで円子令司のこと「インチキくさいがコンセプト」(意訳)って言ってたのがいまだに刺さってる…。峨王の方は確かカバー見返しで恐竜イメージって言ってたと思う、この差は何?そんな性質(それも悪い意味合いで)を明言することある?
あるんだなあ。
うさんくさい男の話を続けてもいいですか?
いいですね?
ありがとう。
言ってなかったと思うんですけど、わたし、今年の2月?に例によってベリアルに当てられてグランブルーファンタジーを始めているんですよ。
それで、ベリアルのことはみんなわかってると思うんですけど、っていうかわたしがよくわかってないんですけど、あの人は…人じゃなくて堕天司?らしいんですけど…胡散臭さもさることながら(俺?俺はデザイナーです、まあ嘘だけど♡)、胸元のデルタが親の顔より見た形!好き!って感じで、インプリンティングというものの存在を強く感じたブッ刺さり方をしていまして抗うすべなく尻に敷かれてるのが経緯になるのですが、彼は期間限定イベントの敵キャラとして登場して舞台と性癖をひっちゃかめっちゃかにかき回して朗らかに退場、プレイアブル(ガチャ追加など)になるわけでもなく嵐のように去っていった男です。で、彼が去っていってから半年近く経つ今日この頃、メインストーリーを公開分は見終わってしまい(現在進行形で更新中)、このあとどうすればいいの?このゲームは何をするゲームなの?という最低モチベーションでほぼほぼ放置していたところ、運命は突然で…出会いはまた嵐のように…すごい男がいたんですよ。すごい男が。すごく胡散臭い男が。
シエテっていうんですけど……。
(みなさんがググるまでの間)
こ、こいつ…別に期間限定でもなんでもないないナイアガラなのにベリアルぶっ叩いてた頃には全然存在を知らなくて、なんで?って思って調べたら、ガチャで出てくる男じゃないんですよ、偶然じゃ出会えないみたい。こいつ、死ぬほど周回して死ぬほど素材集めて手に入れた武器を死ぬほど周回して死ぬほど素材集めて強化して、死ぬほど強い本人を負かしてようやく仲間になるみたいな地獄コースの末に出会える男らしいんですよ、らしいっていうか今はもう仲間になってもらったんでこっちはすでに1000000回死んだ後ですが。
で、ガチャキャラでもイベントキャラでもないからメインストーリーには全く絡まなくて、他キャラメインのイベントに時々出てきて騒いでるみたいで、この前の復刻&新規夏イベントで私は初めて彼を認知しました。
暑イベントにね、水着スキン(グラブルにはキャラ固有衣装の着せ替え機能がある)が実装されたんですよ。
知らない男のビキニパンツが……。
しかもそのストーリーを見るに、こいつ、自主的にビキニパンツを選んでいる。膝丈の海パンを履いた少年が「ビキニパンツ履くとか意味わからん」って言うのに対し、シエテは胸をはって「むしろなんで君はビキニパンツじゃないの!?」みたいなことをね、言うんですよ。
水着スキンに着せ替えたシエテは「釣り行こうよ〜(CV諏訪部)」とか「日焼け止め塗ってくれるの?(CV諏訪部)」とか、すごくこっち(どっち?)に話しかけてくる!そんな誘わないで欲しい!やめて!ああ〜エッチだな〜〜〜〜〜〜〜><
とかね。
言ってたんですけど。
結局お前誰だよ?って。エッチな男が好きなので興味を引かれたのが第一段階、結局誰なのかいまいちわからなくて不信感を覚えたのが第二段階。そうして色々見て回って、さっきみなさんにググっていただいた時に出てきたようなインターネットの色々な情報から、察するわけじゃないですか。
あっこいつ絶対好きじゃん。
みたいな。
でもこっちはよわよわきくうし(騎空士・グラブルの主人公の立場。お空を旅して回るのだ)なので、素材集めも泣きながら…まず素材を落とす敵と戦う資格がないところから…えっちらおっちら、えっちらおっちら、泣きながら、本当に素材がドロップしなさすぎて泣き言を垂れ流しながら、レアアイテムを解体して複数種類のアイテムにするみたいな最終手段を使うなどしながら……我ながら自分が怖い、「絶対好き」と言う根拠のない自信によって突き動かされるように虚無の作業に没頭していた、これでもし好きじゃなかったらどうするんだろう、それともここまで自分にやらせた男という概念に縛られて強制的に好きになってしまうのではないだろうか、本当に私はこの男が好きなのか?それとも頑張っている自分に酔っているのか?好きってなんだ?私の中にいるシエテは本物のシエテではないのに?気が狂いそう。
まあ結論から言うと出会えて本当に良かった、大大大好きだった。
ほんと〜〜〜〜〜に、感動するほど胡散臭くて、泣いて喜んだ。
こいつ、世界一(グラブル界ではこれを「全空一」という)の剣の使い手です!って自己紹介するわけ。そんで、斧とか槍とかの世界一の使い手たちシエテ含めて総勢10名で徒党を組んで活動してます!って。それは、真に優れた力を持つものは、それに見合うだけの役割を背負う義務がある、という考え方(彼はこれを「ノブリスオブリージュ」とよんだ)によるもので、何をやってんだかよくわかんないけど、シエテはその集団「十天衆」を束ねる頭目を務めている…そうです…。
は…ははぁ…(よくわかっていない顔)。
こうやって書いてみると具体的に何が胡散臭いかってよくわかんないな、胡散臭さって醸し出す空気感によるものというか、なんかもう顔では?うさんくさい顔してんだもんシエテって。円子令司と似てる。
円子令司好きならシエテ好きでしょ。
天星剣王って何???(※彼は時々こう自称する)
シエテ、胡散臭いのは自分のこと一切語らないからかもしれない。
ノブリスオブリージュのくだりも、それは本当に彼の心からの信念なのか?怪しい。彼にとっては与えられた役割を過不足なく負うことが役割のような気もする。
あとシエテの特記的な能力としては、剣拓というものをとることができて、これは…彼はそもそも剣が好きらしいのですが、戦って勝った相手から剣拓をとらせてもらう、剣そのものを奪うのは気がひけるので、ということらしく、剣のエネルギー塊?だって言われています。この時点で意味がわかりませんが、グラブルくんはストーリー中で何も教えてくれない。あとその剣拓は「星の海」から無限に取り出すことができる…らしい。星の海って何?グラブルくんはこれもまだ教えてくれていない。ちなみに、シエテが今までたたかって勝ち取った剣拓は3000本にものぼるそうです。作中では武器マニアとか言われています。
でも彼のことは何一つわかりません。彼の過去も、思い描く未来も、本心も。
怖いです。
いつか全空巻き込んだ世界への裏切りを果たして、この空からいなくなってほしい。これは私の性癖の話です。
グラブルくんはホモの掘り下げがあまり上手くないのでシエテもホモじゃなくてとにかくエッチな男だな〜キャッキャって感じだと思ってたんですけど、最近店長×シエテのCPがめちゃ気になってます。
これは…店長は名前のない喫茶店の店長(まんま)なんですが…。
以前イベント実装されたストーリーが先日復刻実装されまして、いまはもういつでも読むことができるシステムになっており、店長&シエテが出てくるそのイベントの名前は「とりまトッポブで」というものになります。詳細は省きます。
メインキャラクターはシエテとはほぼほぼ関わりない三人組の猫耳パリピ男で、彼らがたむろしている喫茶店の店長が最後にちょろっと出てきたシエテと旧知の仲ですみたいな顔をしだしたので私は我慢ならずにひっくり返ってしまった。
「シエテさん」、「いつものオムライスでいいか?」ってどういうこと?
シエテが店長の傭兵時代の実力を評価してるみたいな匂わせも何?
決め手は店長がドラフ(※グラブル界に暮らす一種族。ツノが生えてて男はマッチョ。男女問わず基本爆乳。ちなみに主人公やシエテの種族はヒューマン)だった…ってことなんですけど、それにしても私の性癖刺すのうますぎないですか?そこ刺さなくてもよくない?刺しても全然いいけど…。
はぁ……。
みんなもよかったらグラブルやってみてね。
システムめちゃめちゃややこしくて超難しいけど………。
よわよわきくうしだったざこてゃは、シエテを仲間にする過程でようやくレベル100になりました。
次はレベル4ジョブのエリュシオンでも取得しに行こうかな…なぜならエリュシオンの装いのグランくんがおでこを出しているから…。
関係ないけどグランくん(男設定の主人公のデフォルトネーム)も怖い男なんだよ。あまりにも人格が主人公然としているので、普通の人間からして考えると非常に怖い。衛宮士郎みたいな趣を感じる。他人を救うことが念頭にある。自分の道を違わず、その上で他人にも手を差し伸べる。そうでありたいと願っている。そのために己の命を投げ打ってでも(きっと誰かを見捨てたら、たどり着いた先で胸を張れない)。まあ同じ設定で主人公を女の子にすることもできる(ジータちゃん)ので、それもそれでまた怖い…けど…。
オエッ。
嘘喰いの話なんですけど。
読みましたか? ヤンジャン公式で期間限定で全話無料公開されています。
タダより高いものはないんですねぇ、ホイホイ読みに行って想定外のハマり方して結果いま電子書籍を買い集めてるわけですが。
序盤はなんかパチスロがどうとか闇金の借金がどうとかみたいなスケール感で始まって、小市民的なギャンブルマンガ(悪口)なのかな〜ってすごくナメた姿勢で読んでたんですけど、途中から方向性が変わって輝き始めるんですよ。
具体的には、廃ビルから大金抱えて逃げ出せたらそのお金全部あげるよ!ただしこっちは人体改造した最強の傭兵使って脱出を阻止=殺しにいくけどね!!というあたりから…その…なんというか……
それはギャンブルではないのでは…?
そんなこんなでギャンブルシーンと大立ち回りの暴力シーンが同じくらいの熱量で描かれるようになってからが本番です。
中立の立場でギャンブルを取り仕切り、負けた側からの取り立てもきっちりこなす「倶楽部賭郎」の人員が黒服着込んでウジャウジャ出てきて!
賭郎の乗っ取りや排除を目論む外部勢力から送られてくる刺客と戦い!
テロリスト、ヤクザ、マフィア、国家権力、そのほか諸々とやっぱり戦い!!
殺したり殺されたり殺しあったり!!!!
その間に主人公がギャンブルしたり。
主人公(斑目獏)はギャンブルパートの担い手で、基本的に激弱なので暴力パートそのものにはほとんど加担しないのですが、暴力はギャンブルに付随しているので暴力パートの動機は超作ってます。
斑目獏はバリバリの頭脳派で、そもそもこの漫画は斑目獏がギャンブルで勝ち上がっててっぺん目指すぜ的なのが主題なので、彼を取り巻く仲間たちが障壁をボコボコにぶちのめしてくれるのが暴力パートでもあり、そのためギャンブラー本人様が弱くても全然大丈夫なんですね。大丈夫なんですよ。本当か?
※本当はあんまり大丈夫ではない。
でね。
ホモの話なんですけどね。
年々性癖に素直になってるというか…あけすけというか…自我が芽生えてきて…こう……抗えなくなってるなって……自覚はすごくあるんですけど……
伽羅貘なんですよね……。
もうこれはなんというか、体格差!共闘!相思相愛!!とか
まーた顔に傷のある男が攻めだよ!!とか
顔がいいとブスの間を光速で反復横跳びするタイプの受けだねとか
攻めのケツでっかいな〜〜〜おっぱいもでかいな〜〜〜とか
言うだけ虚しい、好きに決まってんじゃん、うるさいな!!!!!
受けを攻めの上に乗っけたり、攻めのお乳でパイズリさせたり、攻めのお尻をモチモチしたり、
もういい!もういいだろ!!
ゲロ。
いや……
私の性癖は置いておいても、闘技場で攻めの勝利に手持ちの全財産一点張りする受けとか、その前に「お前が望む勝ち方をする」って宣言しちゃう攻めとか、そんなん見せられて黙ってられんでしょって。相思相愛がすぎる。
伽羅さんは暴力で、斑目はギャンブルでというそれぞれ別のフィールドにいて、2人は「永遠に勝ち続けることなんてできない」という共通の価値観を持ちつつ、「だけど自分は勝ち続けることができる!」と宣言しあった経緯があるんですよ。
最初は立場の違いから表だっての協力関係は結べなかったのですが、伽羅さんは作中で明確に斑目に惹かれていて、斑目がより大きな勝負の場に立てるようにさりげなく手を貸してみたりするいじらしいところがあったりして。
そんなこんなでまた立場が変わって共闘できるようになってからは伽羅さんの優しさ?や暴力が大爆発して「人使いが荒いぞ」なんて言いながら大喜びで全力の暴力サポートを捧げるわけですね。
そうして構築された自分(暴力)が勝てば相手(賭)の勝ちにつながる(逆も然り)という関係性、強いにもほどがある。
こんなドンピシャ性癖が包まれた漫画だなんて知らなかったんだよ〜〜〜!!!
どうしてくれんだよ〜〜〜〜!!!!
どうしたらいいんだよ!!!!!!!!!!
しかも攻めの顔の傷、受けが原因だよ?こんなことってある???
えーんえーん。
昨日のスパコミで弊サークルの本をお手にとってくださった皆様、ありがとうございました。
鷹鴉「待人」とスクネサ(ひとり)アンソロはそろそろ頒布終了の気配です。
最初は当日天気悪いやばいかもみたいな雰囲気だったけど回復してよかったね! 昨日出かけたみんな、晴れ女を名乗っていい。
以下、スパコミ新刊「夜の底で見る夢」の本文サンプルになります。
イベント前にサンプルを上げるというのはなぜこんなにも難しいのだろうか。
こんな感じでした。
次回以降のイベント予定は、10月スパークで峨マル、1月刻印で鷹鴉、2月に春コミかな?と思ってます。(2019年は2月に春コミするスケジュールらしい、個人的に2月は春ではないと思う…)
でも1月刻印→2月春コミはふつうにしんどいので、もしかしたら1月出ないで春コミで鷹鴉出すとか、逆かするかもしれないです。
来年の話をすると鬼が笑います。
以下少し反省文。
今回ちょっとポンコツが多くて、印刷会社に春コミの時のスペースナンバー申告してしまったり1ページ分入稿できてなかったりして、ご迷惑をおかけしてしまったんですけど、印刷屋さんのご厚意によってまともな形で本を出すことができました。印刷屋さんというのは何故こんなにも優しくしてくれるんだろうか。大好き。ありがとう戦艦、これからもよろしくね。
スペースナンバーいつも間違えがちで、ポスター作ってる時なんてだいたい1回は間違えた番号で「できたよー!」とか言いながらtwitterに投稿して間違いに気づくパターンなんですけど(そのあと直してから入稿する)、番号でたらでかく印刷して壁に貼っておくとかしないとダメなのかな。
それで既刊は自宅保管なのでイベント会場まで宅配便で出すんだけど、戦艦が直してくれた正しい番号で出荷したはずなのに所定の場所に届いてなくて、めちゃめちゃめちゃめちゃ焦ったし戸惑いました。結果としては、どこか違う場所に届いていたのか、手元にやってきたのでことなきを得ましたけど、机に敷く布もなければポスターもない状況だったので神艦が届けてくれた新刊をナマ机で頒布するしかないのか?限界頒布デビューか?との思いが脳裏をよぎったのでした。
それでなくても開場時間ギリギリ到着設営開始がいつものパターンになりつつあって、今回は半ば不可抗力でこういうことになりましたけど、もともと頒布開始遅れがちなのはやっぱりよくないので、今後はもう少し早く家を出ます。頑張ります。
あとは…もう少し事前のアピール?みたいなやつももっとちゃんとできたらいいなと思ってます、いままで知らなかった的な扱い1000000回は受けてるから…。
みんな偉くない? 入稿したらそこで満足するでしょ普通?
そんな雑魚てゃのtwitterアカウントはこちら→@zacoinfo (※Twitterにリファラ握られるのが怖くてリンクが貼れないオタク)
じゃあみんな、また秋に会おうね。
2回目見てきたよ〜〜〜!!!!
今日は前から2列目の一番端の列から見てきたので、めちゃめちゃめちゃめちゃ舞台が近くて、なんか、スモークのにおいとかが漂ってきたレベル…。
この席なら全くオペラグラス持つ必要ない!
昨日は二階席で見たのでほぼずっとオペラグラス越しに見ていたものが、ここにくればオペラグラスがなくても何もかもの詳細まで見える感動…。オペラグラスで見ても表情なんかはあんまりよく見えないので、やっぱりそばで裸眼で見るのが一番いいんだと思いました。
ただし、本当に近くて、フィナーレで全員が舞台前方にずらりと並んで礼をしたりする時に、近すぎて目を見たら絶対目があってしまうので怖くて視線をウロウロウロウロさまよわせることしかできなかった…。
ダメなんですよ…舞台上は架空なんですよ…こっちとあっちは繋がっちゃダメなんですよ…目線がかち合うなんてもってのほか………
とか言いながら体は正直なので感極まって涙ポロリしてしまった。
涙ポロリと言えば、昨日は開演序盤、エドガーの登場シーンですでにポロリしてたんですけど、今日もおんなじタイミングで泣いたので多分次回も泣くんだと思います。
背を向けたエドガーがせり上がりで舞台上に現れ、バラの花を一輪捧げ持ちながらこちらを振り返る、その姿の、かつてない美に打ちのめされたオタクは涙で応えてしまうのであった。
てか明日海りおケツが小さいんだよ。
舞台の向かって左端から見てたので、ケツがよく見える中で、誰よりも小さい。衣装が、ほかの貴族キャラは裾の長いジャケットを着てるのでお尻が隠れて見えなかったりしてても今回の明日海りおは少年役なので結構ジャケットレスな衣装の場面が多くて、よく…尻が…見えた……… 。
腰から下、「ふくらんでいる」部分がないのでは?
しかし明日海りおの美しさ、半端じゃない、圧がすごい。
グレン・スミスにバンパネラであることが知られたシーンのあと、一族郎党で「我々はポーの一族であるぞ」ダンスを踊るところで、その間その辺をウロウロしていた(多分逃げていたんだと思う)グレン・スミスを視線一つで追い払って舞台上から退場させたとことか。
ポーの一族ダンス、あの手のフリはなんなんだろう、普通に意図がわからない。操り人形みたいなパントマイムみたいな?
私は個人的に壇上に人間がウジャウジャいてみんなで合唱しながらゾロゾロ踊るのめっちゃ好きなので、好きなシーンです。エリザベートだとルキーニの裁判でトート閣下が現れるあたりのシーンとかミルクがないのシーンとか、スカーレット・ピンパーネルだとマダムギロチンのあたりとかめっちゃ好きだし。
宝塚は普通トップの男役と娘役はセットで動いていくものなのですけど、今回はちょっと違っていて、トップ娘役の仙名彩世はシーラ役だったので、出てきた瞬間からほかの男のものなんですよね。
別に最初から明日海りおの相手役ではないにもかかわらず、NTRものを見ている気分にもなってしまう。
とはいえ宝塚のエドガーはシーラに多少なりと好意を抱いている描き方になっているのでNTR気分になるのもやむなしか。
仙名彩世はわりと強烈にアニメ声の役者なので、我々2次元オタク的には聞き慣れた声質とも思われるので少し安心する節がある。ものの、やっぱり舞台上では少し浮いてしまうので、今回のシーラという役はある意味ハマり役だったのではないかなと思いました。
というのも、シーラは現実のものではないから。
バンパネラという人外の存在になったのはもちろん、エドガーと初めて出会った時も、村の外からの来訪者であり、彼女は物語の中で常に「まれびと」の役割でありました。
その唯一の浮いた存在を、他とは一線を画すその声で表現したと思えば、「声」というのも表現技法の一つと呼べるのかもしれません。
彼女のほかの演目みたことないからよくわかんないけど。
明日海りお、今回の相手役は結局誰だったんだ? やっぱり柚香光だったんか?
パンフレットのポートレートもアランと一緒のやつあったし?
最初はメリーベルがヒロインなのかな?と思ってたんですけど、そうでもなさそうだし、シーラはとっくにポーツネル男爵と連れ添う覚悟を決めているし、「愛がなくては生きていけない」というバンパネラの生き方を悟った後にアランを選んでいるので、やはり今回のヒロインはアランだったのか…?
メリーベルを「好きなんだ、ロゼッティ(死んでしまった元婚約者)のかわりじゃない」と言ったアランが、バンパネラになった後には「自分こそエドガーにとってはメリーベルの代わりなのではないか」という疑いを持ってしまうのはすごく皮肉だと思うんですよ。いや、今回の演目上でははそこまではいかなかったので、1人で悲しくなってしまった…。
アランがエドガーに執着している様子は、舞台終盤のギムナジウムの場面で示されて、ほんと、柚香光怖いよ〜おまえ前半あんな「バイ!」とか言ってたのと本当に同じ役かよ〜
関係ないけどあの時代の少女漫画の別れの挨拶「バイ!」ってすごく時代を感じて趣があると思いませんか!?!!?!?
永遠に明日海りおと柚香光でダンスしててほしい。物語とフィナーレの間の役名関係なしのダンスのターンの中、男役がウジャウジャ踊ってるやつ、今回めっちゃよかったよ…すごいなんかテンポが速くて、飛んだり跳ねたり抱えたりしてて、みんな楽しそうでよかった。
あと今日思ったのは水美舞斗の顔がめちゃめちゃいいですね。今度東京でブロマイド買おうと思います。
二月末にも東京公演を押さえてあるので、もう完全にオタクです。
オタクなので気がついてしまったんですけど、今回馬車のシーンがありましたけど、あの馬車、数年前にベルサイユのばらフェルゼン編で壮一帆(フェルゼン役)が「行けフェルゼン」と歌いながら馬を鞭で叩いて爆走するシーンで使われてたやつですよね?
背後に流れていく背景の映像がうつしだされているところまでふくめて見たことありますね…。あれ、馬車の上半分(演者の胸元あたりまで)だけをオペラグラスでのぞいていると、背景が背後に流れていく効果で本当に馬車で走っているみたいに見えるのでいい演出だと思っています。面白い。
今回は本当に舞台装置がすごかったな〜円盤ははちゃめちゃに回るしセリは上がったり下がったり忙しいし、ゴンドラは出動するし、総動員してたのでは?という感じだった。
すごかったのでみんなにも見て欲しいけどチケットは完売なんだよな…だけどなんと千秋楽のライブビューイングがあるみたいだから、みんな全国の劇場で見てくれよな!
バイ!
上演開始から1ヶ月ほど経ちましたが、ようやく宝塚・ポーの一族を観てきました!
脚本・演出の小池修一郎がず〜〜〜〜 〜っとやりたくてしょうがなかった、という萩尾望都の漫画が原作です。主演の明日海りお扮するエドガーの写真は、Twitterなんかでも話題になっていて、わりと高評価だったように見受けられたので、チケット当選してからずっとたのしみにしていたものです。
宣材写真が美しいのはもはや当たり前ではあるのですが、Twitterで出回っていた写真は原作者萩尾望都とのツーショットでしたし、ただ立っているだけというものだったにもかかわらず、かなり期待を高める出来だったように思いました。
宝塚による漫画アニメ類を原作とするコスプレは、もともとベルサイユのばらは大変有名ですし、最近だと銀河英雄伝説、あるいは逆転裁判、戦国BASARAなど、少女漫画では今度天は赤い河のほとりをやりますし、過去にはメイちゃんの執事なんかもやっていたりします。どれもこれも、かなり完成度高く仕上がっているので、衣装面では宝塚歌劇団のことを完全に信頼するほかないです。
で、写真がいっぱい載っているものといえば、公演プログラム(要するにパンフレット)。
パンフレットは例によって1部1000円ポッキリ、しかし今回は、10ページ程度のポートレートが挟み込まれているわ、原作の絵が複数差し込まれているわで結構豪華仕様だったのではないかと思います。力の入れ具合が伝わってくるというか…一方で、あまりにビジュアル推しなので、もしやビジュアル全振りなのか?と疑わざるを得ない。
内容としては、2幕構成でレビュー(ストーリー要素が薄く、歌と踊りを中心に構成されるステージ。いわゆる宝塚な衣装がたくさん出てくる)なし。
エドガーがポーの一族に拾われ、バンパネラになり、やがてアランを仲間に引き入れるところまでをダーッとやってくれます。私感としては、わりと駆け足な印象。
小池修一郎がやりたかった場面をつなぎ合わせて構成したのかな?とも。
とはいえ、小池修一郎がやりたかった場面というには多々にファンが見たい場面とリンクしていると思われるので、マイナスポイントとも言い難いですね。押さえるべきところは押さえられてるのではないでしょうか?
あと、大事なところ同士を繋いでくれているので、「ポーの一族」という物語の骨子の部分をよりわかりやすく炙り出す形になっていて、アホの私がかつて「美しいし面白いけどよくわからない部分がある!!!」って思っていた部分を優しく紐解いてくれた感じがします。
登場人物全員キレキレで、すぐ怒るし叫ぶし手は出るし、情緒の不安定さにハラハラしましたが、だからこそ、その激しさと対になる静かな怒りと悲しみが際立って美しく思えるのでした。
そこにきて最後の「きみもおいでよ」は“““完全”””でしたね…
あれを完全というのだなあ…
ひとりでは寂しすぎる…
そして、宝塚には「ゴンドラ」という装置があるんですけど、私はいろいろ演目を観てはいるのですが、今回初めて生で見ることができました!
ゴンドラ…舞台装置の一つ。突き出したアームの先に台座があり、トップスターなど1人か2人で乗る。アームによって台座が空中を動き回り、客席からは演者が空中を移動?するように見える。うまく説明できない。
ベルサイユのばらでオスカルが天馬にまたがって空中移動するのが有名だと思います。
というのが昨日の感想で、私は今からもう一回見てきます。
昨日はなんと抽選で明日海りおのサイン色紙が当たりました。やったー。
それにしても宝塚大劇場のテラスにいる鳩はデブがすぎる、いいものをたべさせてもらえるのだろうか。