「謎」と私(201123)

みんな〜! 推しを推しているか〜!?

私は……推していますよ……。

最近までES21の次回Webイベントに向けて峨マルを推す本をしたためていたのですが、こちらは無事に完成しました!
ただイベント日程が思っていたより未来だったので、入稿はせずにしばらく寝かせておきます。例によって自家通販対応の予定なので、通販開始以前に家に在庫があるのは普通に邪魔なので……。

「化物(けもの)の心臓」全年齢28ページです。
原作では高校卒業後の進路が不明なマルコの大学進学ルートを描きました。
詳しくは入稿〜Webイベントへの参加登録が完了したらお知らせします。

そして次の推し活として鷹鴉本の作成に取り掛かりました。
2017年からネチネチ描いてた「孵化する日」の最後の本になります。ナンバリングは5冊目になります。
原稿の進捗度合いによっては上記のWebイベントより先に通販を開始できるかも…しれません。わからない……。3ページ目にしてネーム大崩壊して転げ回ってるので……。

で、みんなたちもそうだと思うんですけど、自分の推したちには何らか共通点があると思いませんか?
顔つきかもしれないし、性格かもしれない、生い立ちや家族構成、趣味、特技、話し方、あるいは声優かもしれない……。

私の推したちも思い返してみれば共通項はあるもので、おでこ出てるねとか、他人を小馬鹿にした態度が似合うねとか(?)、乳が出気味じゃないかとか、それなりに色々考えられるんですけど、ぜーーーーんぶひっくるめるとひとつに集約されていくんですよね。

雑魚ちゃんはね、うさんくさい男が好きなんだって………。

そもそも裏切る男が好きだなあから入ったオタク人生なわけですが(そうなの?)、裏切りって「うさんくささ」からの一種の結果ではないかと思うんですよね。その性質で物語を、他人を引っ掻き回して、こちら(読者)に多くの疑念を植え付けた男ならば、裏切ったほうがまだ誠実じゃないですか? 裏切りにたどり着く男は多くの場合はその理由を読者に教えてくれるし、理由の多くは過去の経験に根付いていることが多いというのが私の所感なのですが、とにかくそれを教えてくれるのであれば、彼は「うさんくささ」の尺度で言えばまだまだマトモ寄りなんだと思います。
だから私は誠実な男も好きなんですよね。最もその誠実さには「変なところで」という注釈をつけざるを得ないのですが。
問題は、引っ掻き回すだけ引っ掻き回して、多くの謎(読者からの興味)を自分に惹きつけたまま退場していく男の方なんですよね。

聞いてるか円子令司シエテフロイド・リー、そのほか数多の男たちよ。

生い立ちもわからない、その生き様、考え方の原初も、行いのモチベーションも、未来も何もわからない。
謎に謎を呼ばせながら物語に居座り続けて、いないときはマジでいない男たち。

お前ら本当ふざけんなよ。

……と思いつつ、謎であることが一概に悪いことかというと、私はそうは思わなくて、謎を解く過程自体に意義があるという考えもあると思うんですよ。
端的に言えば私は「わからない」がわからないままでも構わないという考えです。

先日、野田彩子のトークショーに行って「野球回」の話をしたくだりをブログにも書いたかと思いますが、その際に東大生のクイズ研究会的な団体「クイズノック」の動画にも野球回があるんだよ、というのをお話しされていまして、私も野球回そのものと関連動画をいくつか見てみました。
その中で見つけたこの動画の中にそれについての一種の答えを見たような気がしましたのでご紹介します。

サムネイルにガッツリ出ている問題文がそれなのですが、この問いに答えがある動画ではなく、一種のお遊び企画として「参加者4人のうち押す人と押さない人がちょうど2対2になるような究極の2択問題になるボタンを作ろう!」という趣旨のものです。
サムネイルの問題で言えば「【この世のすべての謎が解けるが、誰にもそれを伝えられないボタン】を、押しますか? 押しませんか?」ということです。

押しますか? 押しませんか?

動画中ではまさに押す人と押さない人が2対2になり、それぞれの押す理由と押さない理由が説明されていきます。大体4分目あたりから見ることができます。
自然界のすべて、メカニズムや理論がわかる、が、論文などにはできない。

推しのすべてがわかるが、それを人に伝え、分かち合うことができない……。

おしますか? おしませんか? (ぐるぐる目)

(※推しは自然界のメカニズムではない)

科学という面に関して言えば須貝さんのおっしゃることはごもっともであり、それは大変意義のあることだと思うんだけど、こと自分の趣味で考えれば自分さえ理解できていればそれでいいという考えも持ち得ると思うんですよね。
でも何もかもがわかっちゃうんだったら、彼について考えることもないわけで、それはもう推すとか推さないとかの次元ではなくないですか???
この問いを突き詰めていくと、じゃあ自分のこの脳みそは何のためにあって、この目は何を見るためにあるのか? みたいなことになるような気がしました。

……という考えを深めていくと、わからないものについて、ああでもない、こうでもないと考えることこそが私にとっての推し活の最もたるところなのかもしれないと思いました。

暁の女神3部2章で、ネサラに対してティバーンはこう述べるわけです。
「お前が突然、キルヴァスの王位を継ぐことになった経緯とかその辺を詳しく」「洗いざらいぶちまけるんなら」と。
で、結局このくだりがその後作中で触れられることはないんですよね。

この思わせぶりな「問い」に私が何年とらわれているかわかりますか??????????????
(ヒント:暁の女神は2007年発売)

オエッ……………

ネサラ様はね、どっちかというと別にうさんくさい人ではないんですよね。蒼炎の時はもうちょっとその気があったかもですが。
でもニアルチがいて、鷺が出てきて、そもそも王様で、人からの信頼があってっていうのを見せられたら、やっぱり誠意の方の人なのかなあっていう見方をしてしまうわけじゃないですか。
蒼炎時点でも、「利」のある方につくっていうのは十分に動機として理解できるものだから、狡猾さやドライさでカバーできる範疇にあると思うんですよね。
だけどその過去は断片的にしか語られていないんですよ。
鷺とのよしみは随分昔からのものだったこととか、そこにはティバーンも一枚噛んでいたようであるとか。それでもそこから王になった経緯はわからない。

原作を何十周としたところでわからないものはわからないんですよね。描かれていないものは。
それとも私が気付いていないだけで本当は描かれているのかな?
わからない、もしもそうなら誰か教えて欲しい。ヒントだけでも。

で、そうやってわからないことをわかろうとして、考えて、要素を無理やりでもつなぎ合わせて、組み立てて、それでようやく自分を納得させられる答えを出せたときに生まれる感情、それが自分にとってその人間を推した証なのだろうと思いました。

ただ留意しなければいけないのは、これはあくまでも「納得」に過ぎなくて、理解とは全くかけ離れたものなんですよね。
結局全然わかっちゃいないんですよ、推しのことなんて。
実際原作で描かれていることさえも、欲目でねじ曲げて咀嚼して、もしかしたら理解とは程遠いところを彷徨っているかもしれない。
でも、それでもいいんですよ。納得があれば、私はそれでいい。

その人間の過去のことが一切分からなくても、それに想いを馳せて断片をつなぎ合わせてその人間につながる一筋の道を見出して納得できたのなら、それは間違いなく私にとっては救いです。
「わからない」ことによる苦しみがひとつ減るのだから。わからない事実には変わりなくても。

納得って理解とか知覚とかとは一線を画したところにあって、本当のことであっても納得できるとは限らなくないですか?
富士山の山頂では平地よりも気圧が低いから沸点が低く、お湯が100度未満でも沸騰するんだよと言われても「へえ…」でしかないというか…(何の話?)。
だから、自分のためには理解よりも納得の方が真に迫る必然性があるような気がします。

本当か嘘かも関係なく、ことの因果のあれこれに、私さえ納得できれば私は幸福だと思いました。
(現実問題ではファクトチェック※は割と厳密に実施するめんどくさオタクなのですが……)(※その言説は原作のどこに依拠したものですか?というあたりで)

ついでに言えば、これは経験則なのですが、謎のまま残される要素って、物語の本筋とは全然関係ないことが多いんですよね。読者としては気になるけど、構造を紐解いて考えると「必要のない部分」だった場合が多い。
円子令司の進路とかめちゃくちゃ気になるけど別にどうでもいいもんな……。
それに「答えが出ないこと」が正解な場合もあるじゃないですか。ハンターハンターの試験じゃないけど。
読者が考えることを織り込んで謎のまま残される要素っていうのはなきにしもあらずなんじゃないかなあと、推しを推すこととは別軸で考えることではあります。

わかっちゃったらダメなんだよなあ。
追いかける理由がなくなってしまうから。
人間は考える葦であるから、思考の種を植え付けられては光に向かって伸びていくしかないのかもしれない。

だけどその結果が正解、理解であるとは限らない。

私を惹きつける胡散臭い男たちよ。
お前たちが「謎」の男でいる限り、いつかお前たちのことも「納得」してやるからな。

このブログ記事を書きながら黒ラベルロング缶が3本空きました。
ヘロヘロになってきたのでそろそろ寝ます。

推しをその謎ごと推していこうな……。