物語の内側と外側(201023)

通販用のクレカの支払いが最近妙に多いなあと思いつつ、確認すると実際には自分で購入したものの履歴が大量に出てくるわけで、何をそんなに買っているのか見てみたら電子書籍(漫画)が大多数を占めているわけですよ。
電子書籍、本当に便利で最高だな、と。
最初はWeb連載の単行本化したものをチマチマ読んでいましたが、昔雑誌で中途半端に読んでいた漫画とか、友達の家で流し読みした漫画とか、アニメしか見たことないものとか、そういうちょっと懐かしいタイトルをドカンとまとめて読み直しています。ハガレンとかシュガルンとかCCさくらとか…。

そんな中でTwitterの相互が、バナナフィッシュのアニメを見始めた、面白い、漫画も買おうと思っているという話をしていたので、私もなぜか自宅に文庫版の1巻だけ物質であるし(買った記憶はない)、この機会に読んでみてもいいかなと思ったので、電子書籍で文庫版20巻分まとめて買って読みました。
面白かったです。
これが7月の話ですね(購入履歴でいつ買ったのか確認できるのも電子版のいいところかもしれない)。

で、10月に入ってから、やっぱりTwitterで今度はブラックラグーンの話を見かけて、こっちはタケナカと合言葉で云々してたくだりだけエピソードの記憶があったので、物は試しと電子書籍で11巻分購入しました。
面白かったです。
てっきり完結しているものだと思っていたのですが、未完なんですね?
未完には慣れているので全然いいのですが……。
そういえば十二国記の短編集の霊圧が出てきましたね、楽しみです。

バナナフィッシュもブラックラグーンも、自分にはどうしようもないところで発生した思惑に振り回され、その過去に囚われ続けている構造、否応なしに世界の広さを見せつけられる体験が非常に魅力的でした。
バナナフィッシュはことの発端がアメリカ人にトラウマを植えつけたと言われるベトナム戦争であり、あるいは米ソ対立、そこで跳梁跋扈したマフィアたち、見出されてしまった少年(たち)の物語でした。
一方ブラックラグーンでは、主人公は勤め先の日本企業が企んだ密貿易(禁輸国企業との核事業協力)と、関与を試みたロシアンマフィアのトラブルに巻き込まれ、書類上の死をもって日本を離れることとなります。彼が所属することになった運び屋の本拠地・タイのロアナプラには、上述のロシア系から中華系、南米系、イタリア系など複数のマフィアが支部を持ち、一触即発の気配を漂わせながらも共存を果たしていました。

2つの作品は、散りばめられる要素がなんとなく似通っていて(「戦争」の影、マフィアやドラッグ、南米との関わり、日本からの客人……)、続けて読むことで、今、一種の時代性への興味が湧いているところです。

とはいえ、調べてみたところ、これらの2作品では連載時期も違えば舞台になった国も時代も全くかぶっていませんでした。
バナナフィッシュの連載は1985-1994年であり、同じく1985年のアメリカ・ニューヨークを舞台にしています。ベトナム戦争(1955-1975年)の派兵でドラッグ由来の後遺症を負った主人公兄の存在が非常に大きく、その薬物と、それを取り仕切るコルシカマフィア、冷戦(ソ連及びその流れを汲む南米社会主義勢力)での利用を目論む国家権力といった思惑の交差が、物語を動かす中心を担ってます。
ブラックラグーンでは連載開始が2001年ということも関係してか、作中でもすでにソ連は解体されており、1991年以降の物語であることは確定と見て良いでしょう。とはいえ、ベトナム帰還兵がまだ現役で戦える程度にしか時代が経過していいない様子から、2000年代であるとも考えにくい。2巻では「1945年」の事件に対して「50年後」という表現がなされているので、舞台は1995年前後のタイであると考えることができます。

このように時代も地域も異なる作品にもかかわらず、少なくとも私にとって同じように興味深く感じられるのは、当時の日本人に見えていた世界の外殻が見て取れる(ような心地がする)からだと考えています。
今日では、ベトナム戦争やソ連崩壊はすでに時事問題を離れ歴史上の出来事として取り扱われるトピックであり、当時のニューヨークはおろか、日本の世相さえ知りようがない。
しかし、描いている人間はその時代を経験しており、作中に現れる価値観にはその経験が反映されていると考えられます。当時の人間の目を通して観測した世界がフィクション世界に表出し、そしてフィクションだからこそ過剰にも描かれうるならば、当時の人間に見えていた世界が観測者の印象ごと読者の中に流れ込んでくるわけです。
作品の内側を楽しみ、のめり込めばのめり込むほど、その外側にほのめかされる当時の世相やそこに至る歴史的経緯の存在に気付かざるを得なくなるのです。

いずれの作品においても、あるいは他の作品であっても、読者は読むという行為によって、今はもうないものを見る、今まで知らなかったものを知ることができます。
そして我々は、当時隠されていたりアクセスに困難があった情報について、インターネットで容易に調べることが可能な時代に生きています。
特にブラクラは連載時期やファン層がインターネット文化の中心に訴求していたこともあってか、考察や感想のブログが色々あったり、バナナフィッシュも2018年のアニメ化(ずいぶん設定に手が加えられてはいたようですが…)を契機に書かれた解説記事を見かけることも多く、そこから別作品の解説まで読みにいく、作品自体も鑑賞しちゃう(インターネットでアニメや映画も見れちゃうの本当に便利)など、最近ずっとネットサーフ知りたての子供みたいな生活になってしまっています。

物語を起点として外へ外への広がっていく、これら全ての行動・体験全てが楽しくてしょうがない、その感情を持つこと、それによってさらなる深みにはまっていくこと、これこそがオタクであるということなのだろうと思いました。

で、次に読むなら連載期間が2作品の大体中間にあたる1992-1997年、日本を舞台にした90年代少女漫画の金字塔セーラームーンかな、というのが目下の計画です。
これもアニメはずいぶん見ましたが漫画を読んだことがない作品のひとつです。

時代、地域、あるいは題材が上述の作品と近かったりする作品を知っていれば、ぜひぜひ教えてください。