白く濁ってどろりとした液体、酒分は少ないようだが、口いっぱいに広がったえも言われぬ風味にたまらず顔をしかめる。
「その様子じゃ口に合わなかったみてえだな」
「…な…んだ、これ」
「わからん」
あっけらかんと言い放ったティバーンに、ネサラは絶句しか返せない。
「俺たちはただ、美味いか不味いかを見ればいいんだ、そいつが何かなんてのはどうでもいい」
足元に転がる酒瓶の多くは、ティバーンが飲み干してしまったものばかりだ。グラスに注がれた一杯をネサラが味わっている間に、恐るべき速度で瓶ごと空になっていく。杯を重ねる間にもその速度に衰えは見られない。試飲のためだというので瓶の大きさが常よりかなり小さいものだというのも理由の一つではあろうが、それにしてもティバーンの酒豪っぷりには舌を巻く。
「おまえの好きな商売のためなんだから、もうちっとやる気出せよ」
「そうは言っても、俺の好みなんて、なんの箔付けにもならないだろう」
「俺が美味いっていうより、おまえがちょっとでもいいって言ったやつの方が価値があるってことを、おまえはちゃんと自覚しろ」
「……」
ティバーンの私室で二人が酒を煽っているのは、鳥翼国が成立する前後で鷹と鴉が培ってきた酒造の技術を、世に知らしめるという試みのためであった。大陸各国に輸出予定の種類の内で高級なものを、鳥翼国重鎮のお墨付きという形でさらに価値を高めようという、財務に関わる鴉の提案だったと聞く。
「ま、とにかく飲む分にはこいつは一級外交官殿の舌には見合わなかったってわけだな」
「俺が好きなのはキルヴァスの糖蜜酒だ」
「んなこと言ったら俺だってフェニキスの火酒が一番好きだぜ」
「じゃあそれでいいじゃないか…」
目で見慣れた糖蜜酒の瓶を探すが、見当たらない。ティバーンが空けてしまった後なのかもしれない。
「酔ってるのか?」
「さあね」
曖昧な返事は、ネサラもその答えがわからないからだ。浮つく心地は明らかに酒に由来するものだが、それが過ぎたものだとは思わない。まだ視界も思考もはっきりしているし、立ち上がって歩くことだって苦ではないだろう。ネサラは小卓にグラスを置き、先ほどの酒の瓶を手に取る。番号の書かれた紙が巻かれているだけで、正体は知れない。ティバーンもまともには飲んでないのか、ほとんど減っていないようだった。
「あんたの国の酒じゃないのか?俺はこんなもの飲んだ記憶がない」
「わからんぞ、大事な昔々の文献から引っ張ってきたものかもしれん」
「そんな毒とも知れないもんを飲まされてるのか、俺たちは」
「実は案外適当だぞ、おまえの部下たちも」
酒が入っているからか、いつもよりはるかに笑い声が大きく響く。
「それより、あんたの方がよっぽど酒が回ってるんじゃないのか?だらしなさに拍車がかかってる」
横目に見たティバーンの形は散々なもので、長椅子に足を投げ出して半ば寝転がるように大半を占拠しているし、緑の上着はとうに脱ぎ去って床の上でとぐろを巻いている。中に着た薄黄色の衣はすべての釦が開けられており、酔漢特有の赤く染まった肌が嫌でも目に入る。
「何を言いやがる、まだまだこれからってとこじゃねえか」
ティバーンの足を避けてネサラは長椅子の肘掛に腰を下ろす羽目になっているというのに、なんという言い草なのだろう。目を逸らして溜息を漏らすと、ティバーンはおやじくさい掛け声とともに起き上がった。ネサラの座る肘掛に寄って座り直す。瓶を取り上げて後方のクッションに放り投げながら、ネサラを引きずり下ろして自らの膝の上に乗せ、満足そうに笑った。
「何の真似だ」
「いや?」
ティバーンはネサラの尻を掴んで、力任せに自分の方を向かせる。顎を捉えて、強引に口付けた。拒む間も無く、火照った舌が押し入ってくる。顔色も変えずにネサラの口内に未だ残ったままだった酒の残骸を舐めとっていく。
「っ…相変わらず、わかんねえな、あんたはっ」
「何が?」
「やることなすこと全部だよ!」
なんとか引き剥いで、濡れた口元を手の甲で拭いながら牽制を意図して睨みつけると、ティバーンはしっかりと意識を保った瞳で見つめ返してくる。
「本当に?」
「あ?」
聞き返す間に、ぐらりと視界が回る。気がつけば、後頭部を肘掛に押し付けられる形でティバーンに組み敷かれていた。
「なに…」
「わかんねえ?俺がこれから何するか」
一度長椅子に沈んだ尻の下に上腿を差し込んで、ネサラの下肢を持ち上げながら、浮かべる笑みは挑発的だ。ぶわりと背筋が冷える。
「全、然」
首が変な角度に曲がって息苦しい。上体を正そうと腕を突っ張りたかったが、長椅子は狭くて行き場がない。
「それじゃあ仕方ねえな。黙ってわかるまで待ってろ」
そう言うと、ティバーンは後ろ手で、投げ出したばかりの酒瓶を持ち直した。
そのままネサラの下衣をずり下げ、瓶の栓を歯で開ける。
「ま、さか」
「あん?」
傍に栓を吐き落とすのを半ば呆然と見遣りながら、こく、と湧いた生唾を飲み下す。
「っやめ、」
「なんだ、もう察しがついたのか、さすがだな」
「んなこと言ってる場合か、やめろ!」
もがいて逃げ出そうにも長椅子の上は窮屈に過ぎて、横に転がり落ちようにもティバーンの足が遮るように伸ばされているためままならない。蹴り飛ばしてやろうと振り上げた脚は、簡単に捕らえられて小脇に挟まれてしまった。
そうこうしている間にティバーンは粘度の高い液体を多量に己の手指に垂らし、それをネサラの秘奥への入り口に一塗りした。
「ばっ…」
ネサラの抗拒を邪魔するように、決して細くない指が滑らかに挿入される。
「ん!っや、だ、」
「美味くねえなら、他の使い方をするっきゃねえだろう?」
ティバーンの様子はいかにも楽しげだが、ネサラはとてもではないがそうはなれない。視野いっぱいのティバーンの姿がぐわん、と大きく歪み、戻らない。目を閉じると、脳を掻き回されているように、その拠り所がつかめなかった。
「っく、ぅ…ん」
指が出入りする内側が、熱い。脈拍が速くなって、呼吸が追いつかない。
「大丈夫か?」
聞こえてくる声には微塵も心配するような音はなく、うっすら瞼を開けると、案の定笑っている気配すらある。瞬きを数回すると、張っていた涙膜が零れ落ちて、憎たらしい顔が見えた。
「こんなんでだめになるほど柔じゃあねえだろう?なあネサラ?」
こう言えばネサラの性格上、意地でも意識を保とうとすることを分かりきっていてこの口ぶりだ。しかし、言い返そうにも震える唇は形を作らないし、喉も意味のある言葉を紡げる状態では到底なかった。喘ぎに似た荒い息を吐くことしかできない。
それでも、ティバーンが押し込めた指の動きは如実に知れて、境遇に見合わぬ甘い声が漏れる。
「あ、あっ…や、」
ようやく持ち上げた腕でティバーンの胸ぐらを掴んで制止を求めようにも、緩んだ口は喘ぎを止めない。聞こえてくる水音で、塗り込められる酒量がどんどんと増してることに気づいても、どうにもできない。
「はっ…はぁ、あ、あ、」
知らぬ間に内壁はびくびくとさらなる愛撫を求めるように痙攣するし、その縁はティバーンの指を逃すまいと締め付けてしまう。
「気持ちいいか?」
「な、わけ、なぃ、っあ…あ!」
否定の句がティバーンに届いたかさえ、わからない。言葉ごと封じ込めんばかりに指が増え、内側の敏感な部分を責めるように撫でさすり続けられる。ティバーンの襟元を掴んでいたはずの手がずり落ちて、座面からはみ出てぶら下がった。がくがくと意識が遠のくばかりのネサラを、ティバーンは遠慮なしに揺すって、その目をこじ開ける。
挙句、瓶から直接酒を口に含んで、ネサラに口移しで飲み込ませようとする。味への不快感と、嚥下できなかった噎せで、ネサラは無理矢理に意識を取り戻させられた。
「寝るんじゃねえぞ」
「げほっ…、…っはぁ、く、そ、」
酒と唾液が混じり合ったものが口端から伝い落ちる。溢れる涙と涎とで、顔はぐちゃぐちゃだろうに、ティバーンは隙あらば唇を押し付け、あまつさえそれを舐め取っていった。
不意に後ろ側から指が引き抜かれ、そこを埋めるように、別の熱が押し当てられる。
「ひ、あ、」
与えられるであろう快楽を想起しておののいて、何もないのに声が出る。
「敏感なこったな」
「…れの、せぃ、…!…っぅぐ!」
思い描いた質量に、一気に貫かれる。目が回る。ちかちかと光る幻覚さえ見えたが、攻めあげる圧迫感が、そちらへ行くことを許さない。
「っ」
酒にまみれた手が、ネサラの熱を持ち始めて半ばの中心に触れる。
「まっ…や、」
擦り付けられて、高ぶりが増していく。頭の中の、大事な部分はひたすらふわふわと帰ってこない。腕も足も持ち上がらないくせに、塗り込められる快感は余すところなく受け取って、それで一層声が上擦る。
「そんなに善がって、何が嫌なんだ?」
尋ねながら、先端に指をねじ込むように動かされ、力の入らない足先が跳ねる。反動で体全体が揺れ、眦に溜まった涙が落ちていった。
「こわ、い、だろ…だって」
「こわい?」
続きを促すように、ティバーンが手を止める。
体裁も何も、考えられない。何が隠しておきたいことなのかもわからない。見栄の張り方も、張っている理由も、うやむやになって。
「何も…かんがえれなく、なりそ、で」
あやふやな視界の中央で、ティバーンが唇を噛み締めた。途端に、手がネサラから引いていき、腰を掴んでぶつけるように動かし始める。合わせて、ネサラの熱が堪えきれずにぼたぼたと液体を腹にこぼした。
「何も、考えなくて、いいんだ、よ!」
「っあ!あ、あっひう、う、んぁ!」
「何が要るっていうんだ、余計なこと、考えるん、じゃ、ねえ」
ティバーンのろれつが次第に怪しくなっていく。しかしネサラは自分を掴んでおくのに精一杯で、まだそのことに気付きはしなかった。
「っくそ、俺も、これじゃ、」
ネサラの手足は変わらず放られてぶら下がったままだが、奥を突かれる度に強張って跳ねる。嬌声は次第に掠れて、もはや悲鳴にも似た吐息が漏れるだけだ。
それでもティバーンの動きは収まらず、貪るようにネサラの体の奥へ奥へと入り込む。
「っう…」
ふと、いつもネサラの耳元で劣情を煽るばかりの声帯が、違う震え方をしているのに気がついて、ネサラは気をそちらに回す。
覆いかぶさるティバーンの目は、閉じられていてその焦点をたどることができない。開いた口からこぼれ落ちた唾液が、熱くネサラの頬に滴る。
「ぁ、あ…っふ、」
食いしばった歯の奥から漏れる声が、普段とは違う方向からネサラの情を捉える。
こんなに余裕をなくした様は、記憶にない。
「!っく、は、あ…!」
空に漂う意識の欠片がネサラの腕を持ち上げて、苦しそうに揺れる黒い頭を抱き寄せる。思わず笑んで吐息を漏らすと、薄く瞼が開いて向こう側の金色が煌めいた。
瞬間、ネサラの内奥を穿つ熱が大きく脈打って、奥に欲を吐き散らす。その感覚だけでネサラはたまらなくなって、追うように吐精した。
目が覚めて起き上がろうとしたネサラは、重くのしかかる男の体を避けることにまず苦心した。ずり降ろそうとして、自らの後ろに留まったままのそれに気がつき、為す術なく固まってしまう。
「おい、起きろ」
散々迷ってうつ伏せになっている肩を揺さぶるが、返事はない。
「どうするかな、くそ…」
放り出した声はひどく掠れている。
周囲を見回して、状況を察するに、あのまま二人して意識を失ったのだろうことは想像に容易かった。
尻の下の座面が湿ったままで気持ちが悪い。元凶たる酒瓶は床に転がって、中身を床にぶちまけていた。
「なあ、ティバーン、なあって」
再び寝こける男に向き合えば、ようやく呻き声をあげながら上体を起こす。その過程で意図せずに後孔が自由を得、その感触に思わず力を入れてしまう。
「……悪ぃ」
「何が?」
「抜いちまった」
「そこじゃねえだろうが」
ばし、とうなだれてる前頭を叩く。
寝ぼけた顔で周りを見、呻きながら後頭を乱暴に掻き回す。着衣を整えながら立ち上がって、転がる酒瓶を足でずりよけていく。
ネサラも下衣を引き上げ、上着の前を合わせながら長椅子から腰を浮かせた瞬間に、なだれ落ちるように床に膝をついて倒れこんでしまった。
がしゃ、と腕に当たった瓶が音を立てて倒れて、何事かとティバーンが振り向いた。あまりの有様に、ネサラは顔の色を失くす。
喉の奥を笑いでひくつかせながら、ティバーンは歩み寄ってネサラの両脇の下に手を差し込んで引き上げた。
「笑うんじゃねえ…!」
「ま、これも俺のせいか。悪かったな」
まるで反省の色のない対応に、腸が煮え繰り返る心地がする。
「しっかり洗ってやるから、湯殿に行こうぜ」
「あんたに洗ってもらう謂れは、ない」
息を乱しながら断るが、彼の手がなくてはここから動くこともままならず、説得力のない言葉だとは自分でも思った。
「そういや」
ネサラに肩を貸しながら、ティバーンは床に広がる液体を見つめて、独り言つ。
「酒を湯船に混ぜる入浴法があるって聞いたことがあるんだが」
「まだ懲りないのかあんたは!」
しばらく酒など見るのも勘弁だ、と吐き捨てながら、ネサラは引きずられるようにその部屋を後にした。