肉の焼ける匂い、油の弾ける音。
峨王は、読むでもなく眺めていただけだった雑誌を放り出してソファから立ち上がる。
向かった先はキッチン。そこでは月に二度ほど気まぐれのように峨王を自室に連れ込むようになった男が、鼻歌交じりで昼食の用意を進めている。
歌のリズムに合わせて頭を揺らすマルコは大きなフライパンを相手にしていた。中では大量のひき肉とともにみじん切りの玉ねぎや人参などが煮詰められている。キッチンに閉じこもっていた原因はこれか。峨王はわずかに顔をしかめる。
「余計なものを入れるな」
唸るように文句を言えば、笑って「お前がいつも食ってるハンバーガーだって余計なものはいっぱい入ってるだろ」などと混ぜかえすのが小憎たらしい。
食べるものは肉だけ、という食生活が上手に作用したのかどうか、峨王は身長2m、体重は130kgを超える巨体を誇る。その肉体に相応しい、周囲を恐怖に陥れる凶相でむっつりと黙り込んだ峨王であったが、頭一つ分小さく、よっぽど華奢なマルコの方は気にするそぶりも見せない。あまつさえさらに「余計なもの」であるところのトマトペースト瓶に手を伸ばしたものだから、峨王は眉間のシワを一層深まる。
「…おい」
「嫌なら食うなっちゅう話だけど?」
ちらりと上目遣いの視線が寄越される。しかしそれも一瞬のもので、彼特有の虹彩の色を確かめる前に逸らされてしまった。峨王に次いで視線を受けたのは件の瓶で、そのことに気がついた峨王はマルコの手からそれを取り上げて、極力弱めた握力で蓋を開けた。
「あ、ありがと…?握りつぶすのかと思って焦ったっちゅう話よ…」
礼とともに、マルコは峨王に目を向ける。青い目。
「……フン」
「?」
スプーンで瓶の中身を掻き出す手を眺めながら、まだ時間がかかりそうだなと考える。マルコの背後に回って、脇の下から腕を差し込んで抱きしめると、マルコは少し体重を後ろに寄せた。
「で?」
香りづけの葉を加えて火を弱めると、マルコは腹に回ったむき出しの峨王の腕を軽く叩く。
「何だ」
「この後もう一時間煮込むけど?」
マルコが操作部をいじる調理器具は、ガスではなく電磁の作用で加熱する。火事の心配は、ない。
担ぎ上げてキッチンから連れ出し、ソファに投げ出すとマルコはしばらくベッドがいいと駄々をこねたが、峨王は聞く耳を持たずにその場でマルコの衣服を剥いだ。そもそも一人で暮らすには無駄に広いこのマンションにはベッドルームが三つもあり、どの部屋もキッチンからは移動するのに面倒だった。
「あ…ッは、ァ、ァ…」
すでにお互い何度も吐精した。柔らかなソファの座面は濡れ汚れてしまっているが、そんなことは峨王の知るところではない。
骨の形を掌で感じながら、峨王はマルコの腰を引き寄せる。己を包み込む熱が深くなり、肉の厚みがより感じられるようになる。
一時間、とマルコは言ったが、普段の自分たちの行為にかかる時間など計ったことはない。
マルコの方は、自分の主張をすることをとうに諦めて、峨王のするがままに身を任せてしまっていた。
「…ベッドに行くか?」
峨王にしがみつき、よく通る嬌声と涎で目の前の肩を濡らしているマルコに尋ねれば、先刻の抵抗はなんだったのか、あっさりと首を左右に振った。
「や、ぁ、ここ、ここで、…っ」
まだ意識はあるようだ。あまつさえ首を伸ばして峨王の顎を舐め、その先の唇を求めている。
「ッ、ァぐ」
肩ごとソファに押し付けて、上から大口を開けてマルコの口元に噛みついてやる。歯だけで感じる細い顎の骨の凹凸。このまま噛み砕いてしまうこともできるだろう。苦しそうにひそめられた眉の形は、いつも見せている困った表情とは別物だ。一瞬離れると、マルコは慌てたように息を吸う、それだけの間をとって、今度こそマルコが欲しかったであろう接触にもつれ込む。
「んっ、ふ、」
鼻から抜ける吐息は甘いと評するには幾分荒い。緩く開いた歯の間から舌をねじ込むと、厚みも大きさも違う舌が出迎える。掻き出して強く吸ってやると、悲鳴になり損ねた声が喉の奥から漏れ出た。
峨王としては、このままマルコが失神するまで舌をいじり抜いてやっても良かったのだが、マルコの方はそうではないらしく、峨王が割り開き、己の腰を挟み込ませた下肢を、もどかしげに峨王に擦り付けてその先を促している。緩く動いている腰が、自分の中の熱への期待をにじませている。
すでに数度放った精が、マルコの中から漏れ出して、ぬるぬると峨王の腿をも伝って落ちていく。
一瞬己を引き抜くと、マルコはその後を想像したのか、身を固めて歯をくいしばった。いつもそうだ、いつも、ほんの少しだけ、我慢をしようとする。そのふりが愛おしい。すべて無駄になるのに、すべて峨王に壊されるのに、足掻こうとする意思は、すべて峨王の好むところだ。
「ひ!ぅあ、あぁ!!」
強く中をえぐる。いつもの声音よりも数段高い叫喚が物音のない室内に響く。硬い肌のぶつかり合い、液体に塗れた後孔の攪拌。峨王の喉も鳴る。
「くっ…ふ、くくく」
思わず笑みがこぼれて、歯がむき出しになる。マルコの薄く開いた瞼の間から覗く虹彩の色は、涙で滲んで普段よりよほど綺麗に見えた、その目元が笑うように緩んで、峨王は笑いを引っ込める。
「んで、っあ、…ひぅ、」
「あ?」
「っは、ァ、ん、…笑っててよ……」
うなじに食い込んだ指が離れ、峨王の口元へと這い寄る。
「…っふふ、す、き」
唇の隙間に潜り込み、綺麗に並んだ歯を、歯茎を、愛おしげに撫でられる。
この右手。指。
妙な形のボールを自在に操る、力を使う。力を求める。
「ーー…」
上下の歯で、噛むでもない、挟んでやると、マルコは少しためらってから「それはダメ」とつぶやいた。
「だったら余計なことをするな」
「…左手なら、いい…かな?」
「うるさい」
マルコの足を持ち上げて、上から押しつぶすように己をねじ込むと、押さえつけた体は跳ね上がって峨王から逃げるような動きを見せる。
ゴツゴツと骨盤同士がぶつかり合う感触。マルコの腹部は自分の精液にまみれていて、突き上げられるたび、揺すられるたびに脇腹を伝ってソファに垂れ落ちる。
「あ、ぁん、も…っ」
ぬるつく臍の周りを指先で押すと、きゅう、と熱が締め付ける感触が襲う。この奥に、自分が入っている。
「くく…」
そのまま指を下に滑らせて、色の薄い、繊細な茂みをかき混ぜる。そして、さらに下、五分ほどの熱で持ち上がっている、放られたままで体液をこぼし続ける中心にようやく触れた。
「あ!?」
包むように握ると、マルコの手が制止する意思で峨王の肩を押す、腕を叩く。
「ちょっと、さわっ、んな、っく、ぅ、」
無視して扱いてやると、あっけなく力を失って、滑り落ちてしまう。その緩みきった口元に唇を寄せて甘く噛むと、マルコの手が持ち上がって峨王の固い髪を撫で、うなじへと回る。汗ばむ背中がぬるつくのだろう、しばらく落ち着かずに撫で回しているだけだったが、やがて両腕を絡ませあって峨王に抱きつく姿勢をとるようになった。
誘われるように峨王は腰を強く叩きつけ、内部を圧する抽送も、マルコを苛む手の動きも、徐々に速度を上げていく。
「あぁ、っあ、…っ!」
普段の声音よりも数段高い嬌声が、熱のこもった呼吸とともに峨王の耳へと流れ込む。どこもかしこも熱い、その熱が快い。
でも足りない。まだ足りない。食らい足りない。
「…、がおう、」
声になるかならないか、ギリギリの薄さで名を囁かれ、生唾を飲んだ首回りに指が深く食い込む。
「…もっと、っは、ァ、」
「!」
奥へ奥へと引き込まれて締め付けられる。浅く深くなど加減ができない。マルコは峨王の何でもかんでもを、混ぜ合わせて飲み込んでいく。何も見てはいない、自分の中の良いものだけを拾い上げて、それだけを峨王に求めている。
食らわれてるのはこちらの側か。
「なか、深、ぁ、うぁ!あぁあああああ!!」
人の肉への飢えに苛まれているのはーー
ーーピピピッ。
遠くで鳴ったかすかな電子音。
「…あ」
ずるりとマルコの腕から力が抜けて、滑り落ちていく。身を捻って離れていこうとするのを遮ると、だるそうな視線が峨王を貫く。
「一時間、て、言ったっしょ?」
「それがどうした。俺はまだーー」
「だーめだって。焦げ付いちゃうから」
なだめるようなマルコの声は、ずいぶん低く感じられる。口の端からあふれた唾液を拭う手に迷いはない。
いつも、限界まで貪ってやれば、立ち上がるどころか起き上がることさえ億劫だという態度をとるのだが、それとは打って変わった余裕そうな態度が気にくわない。
峨王は舌打ちをして、不発に終わった自身を引き抜いた。ほっと息をついたマルコを真上から見下ろすと、眉根を寄せて「何?」と問いが返ってくる。
「台所でやるか」
キッチンの方へ目を向けながらうそぶいてやると、げ、と呻き、あからさまに嫌そうな顔をする。端正な面持ちに似合わぬ豊かな表情には情緒がないが、嫌いではない。
立ち上がろうとする峨王を止めるように、マルコの右手が顎を掴む。
「……ほんとは」
背を丸めて顔を近寄せてやると、ちゅっと小さな音を立てて鼻先にキスが贈られる。
「ふふ、一時間で自動的に火は切れてるんだけど」
「なんだと?」
オール電化って便利でいいよね、などと気安く笑っているが、一時的にでも峨王を謀って、この後何をされるか覚悟はあるのだろうか。
しかし、咎める峨王の視線を受け止めながら、マルコは挑発するように微笑むのだ。
「…おまえ、最初の頃より優しくなったんじゃないかっちゅう話……」